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Folklore

  • ️Sun Dec 27 2015

2015年12月27日

TRIBAL CHAIR復活の裏側 その1

ども。代官山のライブから一週間が経ちました。ようやく日常を取り戻したので久しぶりにブログを書こうかと。

まずは改めて足を運んでくれた皆さん、関係者の皆さん、本当にありがとうございました。俺的にも区切りをきちんとつけられた夜になりましたよ。

思い起こせば10月の初旬。俺がいつも通りバーの開店準備をしていたら、ラスアラの安斎さんから電話があった。

元々そのイベントで俺はカレーを出店するって話があったのでその事についてかなーなんて思ってたら

「ちょっとヒロキ的に面倒というか厄介なオファーするかもなんだけど、トライバルの面々て年末のスケジュールってどんな感じ?」

それを聞いて「ビクッ!」となったのは言うまでもない。

夏くらいかな?前段階で前フリもあったとはいえ、再結成に関してはのらりくらりとかわしていたのが本音。それまでにもラスアラに限らず話は色んな所からいただいてたけど、バンド会議になる前に断ってたのね、この何年かは。

あの「解散してました」発表から4年。それぞれの時間の進み方があった。関根は一人で作曲の仕事をこなしているし、ケイタにはsineとプロデュース業、ヤスも仕事だったり、バンドのサポートとかやってたし。K2O君に至ってはヘイローにthe Florist、サポート含め何個もバンドやってる。

だから正直な話、いくらラスアラの誘いでも「厳しいかなー」とは思ってた。今を生きて行くことが最優先だし、過去に立ち戻る?って事がカッコいいとは思わない。「また」があるなら解散を選んだ意味は?とかね、色々ツッコミが自分的に入るじゃん。

後日、改めて正式にオファーがあった。「年末のアップライジング、トライバルでライブやんない?」ってね。

俺は「わかりました。みんなに聞いてみます。ただその代わりケイタにだけは安斎さんから直接連絡してもらえませんか?」と伝えた。

ヤスとK2Oくんに関しては多分オッケーするだろうなって思ってたし、関根とは7月に2人でアコースティックをやって、その時にトライバルの話も少ししてたので、改めて素直な気持ちを俺から話ししてみようと思ってたから。

ただケイタに関しては、まあー気難しい…笑。いや、気難しいというか彼なりの哲学をしっかり持ってるし、漢気もある。

「やらないと決めた事だから」っていう意思を優先する彼の気持ちも尊重したかったのね。

現役の当時、俺とケイタの関係はあまり良くなかったけど、それは彼をプレイヤーとして、バンドのメンバーとして最高にリスペクトしてるからこそ。認めてるからこそ割れた時の感情が大きいってのが素直な気持ちなんだ。漢気を張るところがお互い違うタイプというか。勿論、今は全然良い関係だよ。誤解のないように。

だから安斎さんから「ケイタオッケーだってよ」って連絡もらった時は俺が一番驚いた。マジか!!ってなったもの。

ホントの所、スケジュール的に一番厳しかったのは関根なんだけど「マジでケイタがオッケーしたの?」みたいな驚愕をしてて。彼的には俺とケイタがオッケーしたならそれに勝る断る理由が見つからないって感じだったんだと思う。クソほど忙しいのにとことん心優しいヤツだ。

俺はどうだったかって?
正直な話、その時はどっちでも良かった。
あの解散の仕方に後悔がないと言ったら嘘になるけど、今は新しいバンドも店もやってる。

今、俺が求める「自分なりのカッコいい生き方」の中にTRIBAL CHAIRはなかったから。過去に立ち戻らなくとも、充実した日々を送れてもいたしね。

けどね、心の中でどっかに無理やり過去に対して納得してる部分もあったんだなって気付いてもいた。

解散ライブを出来なかったからこそ、きちんとありがとうとごめんを言えなかったし。

永久凍結するつもりだったけど、しこりが残ってたんだね。きっと。そこは振り回してごめんなさい。時が経って自分の素直さに向き合いたくなったんだ。

どのみちやってもやらなくてもリスナーの皆さんは怒ったり複雑になるじゃん?笑

だとしたら、せめてきちんとメンバー5人で
「ごめん」と「ありがとう」を言いたい。

好きだったがゆえに復活に対して「なんでなの?」ってネガティヴな感情を持った人も沢山いたと思うけど、そこはもう俺達的には批判がある上で「純粋にTRIBAL CHAIRを好きで居続けてくれた人達の為に」ってのを優先した。あの時の後悔や想いにちゃんとライブという形で応えたくてね。

こうしてラスアラが唱えた死者復活の呪文、ザオリクによってTRIBAL CHAIRの復活ライブが決まったんだ。

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2015年08月09日

池袋の底で その2

そんなこんなで夜な夜な俺としんちゃんは池袋の底で酒と場所を、自分たちなりに作り続けた。

池袋駅の西口徒歩5分、飲み屋街のど真ん中、その立地上、池袋という東京のローカル都市としての性質もあってか、元々知り合いのミュージシャンや音楽好きは勿論、それだけにとどまらず、面白い人が沢山来てくれた。

それに加えて決して入りやすい外観の店ではないから、そんなお店にフラっと来てくれるのは好奇心の強い人やホントの音楽好きだ。

でも来てくれた人は皆一様にある種の勇気を持っているからこそ…すごく面白い人が集まってくれる。

時に昼まで営業するようなイカれた飲みの夜もあるし、時にあったかくも穏やかに語り合う夜もある。酒飲めない人はジュース片手にカレー食ってるしね。どちらも池袋の底のリアルだ。

美味しいお酒を飲みたいと思っている、小綺麗な服で着飾ったサラリーマンやOL、お金持ち風な人は他の綺麗なお店に入って行けばいいと思ってるし、俺の性質が根本的にアンダーグラウンド思考があるので「騒ぎたい大学生ノリの若者の溜まり場」みたいにはしたくなかった。そういうのは渋谷とかにいっぱいあるじゃん。

正直な話、美味しいお酒はないけど笑、楽しいお酒を提供出来る場所にしたかったし、来てくれた人が肩肘張らずに素直になれる場所にしたかった。

ミュージシャンや音楽関係者、会社員、販売員、役者、マジシャン、自営業、フリーター、ポジティブもメンヘラも外国人も肩を並べて立場関係なく話せる「ただいま」って言える場所にしたかった。お互いが話し、話され、相談したりされたり、笑えるような場所。

名前はあえて出さないけど、友達のバンドマンが来たら一曲歌ってもらう事だって多々ある。わざわざ告知もしない。

その場のノリで、空気感で紡がれる、その場限りのリアルな演奏や歌が聴きたいからだ。泡沫にように消える儚い旋律こそ、酒場の音楽だと思ってる。

よくお客さんから、そういう日を告知して下さいってお願いされるんだけど、それって「約束された遊び方」になってしまうんだよね。だから俺はやらない。みんな忙しいのはわかるんだけどね…リアルさが最優先て事で理解してもらえるとありがたいです。わかりやすくミーハー感出した方が儲かるんだけどね…本当は笑。でもやらない!!

今もこれからも俺と相方のしんちゃんは池袋に、L.o.Rに立ち続けるし、オーナーが勇退した今、俺たちはバーテンダー兼店主として店に立ち続けている。そんな日々が続いてたという訳。

俺は軽音楽部の部室みたいな、この空間をより良くする為にまだまだバタバタするだろう。ありがたい忙しさだ。

俺たちだけではこの店を守りきれなかったから、色々と力を貸してくれたみんなの尽力には心から感謝してます。

まとまらない文章だけど、こんな日々を生きてます。昨年の秋から。

興味持った人は是非ともL.o.Rに遊び来てね。うちは9割方、男女問わず1人で来る人が多いんだけど、来てくれるのなら、そこで、底で何かが見つけられると思いますよ。

バーは敷居が高いなんて思わなくていい。うちは「軽音楽部の部室」だから!笑

ピース!

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2015年08月09日

池袋の底で

もはや誰もいなくなったゴーストタウンのように放置されていたこのブログ。

最新のものが昨年10月だったので、約1年ぶりの更新。何はともあれ、この放置された廃墟に足を踏み入れてくれてありがとう。せっかくだから約1年、俺が何をやっていたかを記そう。長いからゆるーくお付き合いしてくれたらこれ幸いだ。

昨年の10月の終わり、大宮の酒場でカレーを作りながら働き続けていた俺の元に友人のバンドマンから突如として連絡が来た。

「俺、池袋でバーをやってるんだけど人手が足らなくて俺がライブになると店を休まなくちゃいけないから、どうにもこうにもならない。ヒロキ、台湾でバーテンダーやってたんだろ?助けてくれー」といった具合だった。

その友人は同い年のタメ。しかもバンドマンとしてのキャリアも同期。ツアーも一緒に回った仲だったので、俺は二つ返事でOKした。

仕事休みの日なら手伝うくらいいいよって。金はいらない。その代わりタダ酒でいいかな?て感じだった。

元々俺は飲食店(例のカレー屋)で勤務経験はあったけど、地味にバーテンダーの経験は台湾滞在時のみ。日本で、しかもあまり馴染みのない池袋の街でバーテンダーってのはどんなもんかなー?と人助けするつもりで、楽しくやれればいいかなって思ってた。

しかし俺の想いとは裏腹に、その頃のL.o.Rはかなりイビツな感じで。

オーナーがバンドのツアーで週末、どこかに出掛けてしまうとそのまま店が開けられない状況に追い込まれるという、まさかの金土休みのバーになってしまっていた。当然ながら人手以外にも問題が出てくる。

今思い返すと多少のオーナーへのツッコミどころはあるんだけど笑、その時は彼もバンドも勝負時だったので彼自身が疲弊していたのは大きかった。色々と物事を器用に動かせるほどの余裕もなかったんだとは思う。

そんな訳でSAVE the L.o.R。突如として俺の池袋ライフが始まった。

初めて店に立った11月の初旬、そこで同じように店番として呼ばれたしんちゃんと初めて会ったんだ。今では相方となった彼ともそこで初対面!

思い返せばイカれてる。彼のバンド名(the arounds、SLIME BALL)こそ知っていたけど、面識のない人と、いきなり一緒にバーテンダーとして働くんだよ?どっちも何も店の勝手をわかってないのに。。。

「これ、どうします?」

「俺もわかんねぇっす」

お互いに?にまみれながら、それでも何とかするしかない。こんな感じの始まりだった。

俺たちがバーに立ち始めて間も無く、オーナーは色々な都合で地元に戻る事となり、店はいよいよもって2人で回す事になった。いや、ハメになった。

自分の仕事を終え、その足で池袋へ行き、早番、遅番とバトンタッチして日々を繋いでいく。

金をもらえる訳でもない。そして自分の休日を返上してL.o.Rに立つ訳だから俺もしんちゃんも週7の労働と何も変わらない。L.o.Rで寝て、そのまま大宮の仕事に行く、なんて事も多々あった。こんな生活が二ヶ月以上続いた。

いくら友達の為とはいえ…無給に無休で働くなんて、お人好しすぎると二人ともよく怒られてた。

でも、俺もしんちゃんも途中で気付き始めていた。

キッカケは友達の為だったけど、実は俺たち自身が1番楽しんでるってコトに。店に立つ俺たち自身が誰よりL.o.Rという場所に魅せられていたってコトに。

続きは後半戦に!

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