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「第三世代」を考える。 : 多重ロマンチック

ながたさん世間はお笑い第7世代っていうけれど、
新日本プロレスにもお笑いのつかない「第三世代」があるんですよ。「第三世代」があるんですよ。
しかしそういえば、「第三世代」の名前の由来ってなんだろう。

お笑い第七世代。それは霜降り明星・せいやさんがラジオで言い出したのが広まるきっかけに広まったお笑い芸人のラベリング。
平成生まれで平成の終わる2019年前後、またそれ以降に頭角を現した世代をいうらしい。代表格はハナコ、宮下草薙、EXIT、四千頭身などのコンビ。
絶対的なテレビ神話が崩れ、一般的に「売れる」といわれる前から自分たちのコンテンツを持っていることもあり、自然体で芸をすることがこの世代のポイントらしい。

さて、このお笑い〇〇世代。言われだしたきっかけは明確で、お笑い第三世代から。

お笑い第三世代というのは、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、B21スペシャルなど、1990年代に隆盛を誇った芸人さんたちの呼称だ。

お笑い〇〇と「お笑い」を頭につけているということは、オマージュ元の元ネタがあり、
調べると鴻上尚史主宰「第三舞台」に発する「小演劇運動第三世代」からとも言われている。
そして第三世代といえば……新日本プロレスの第三世代もデビューがそろったのが1992年。お笑い第三世代と同じ時代を生きている。
こちらの名付け親はプロレスライター・門馬忠雄さんだったそうだ。

 中西は、永田裕志、小島聡、天山広吉。ケンドー・カシンらとともに「第三世代」と束ねられた。名付け親は筆者だ。新日本のオフィシャルパンフレットで執筆する際、便宜上、団体設立者アントニオ猪木から直接指導を受けることなく、当時の現場責任者・長州力の下で育った選手を呼称した。
 ヒントは、終戦後の作家グループ。小嶋信夫、庄野潤三、三浦朱門らの「第三の新人」からだった。唐突に第三世代呼ばわれした選手たちは、かなり困惑したと思う。(文芸春秋刊「Number」2020年3月12日号102頁)

誰が名付けたのか個人的には長年の謎だったのですが、元東スポのベテランライター、門馬忠雄さんだったのかという驚き。
そして語源が「第三の新人」だったのかという二重の驚き。

「第三の新人」とはWikipediaによれば「1953年(昭和28年)から1955年(昭和30年)頃にかけて文壇に登場した新人小説家を、第一次戦後派作家・第二次戦後派作家に続く世代として評論家の山本健吉が命名したもの。」とのことだ。
お笑い第三世代と新日本プロレスの第三世代。どっちの命名がどっちの先かわからないけれど、同じ字の同じ名称、同じ時代に呼ばれ始めているはずなのに、由来は演劇に小説家グループというのが面白い。文化は文化を結びつける。

そしてどちらも第一世代ありきのカテゴライズではなく、第三世代ありきで言葉が作られ、先代も追ってとって作られている。
新日本プロレスの第三世代から数える第一世代はアントニオ猪木だし、お笑い第三世代から数える第一世代はコント55号とドリフターズと
そこには力道山世代やエンタツアチャコは入っていない。だから第一世代や第二世代と名乗った誰かが明確にいたわけではなく、どちらも第三世代ありきの第三世代なのだ。

プロレス第三世代とお笑い第三世代。明確な接点はウッチャンナンチャン・南原清隆さんが組んだブラックビスケッツにキャイ~ン天野さん扮する天山がいたくらいで、深い接点があるわけではない(ナンチャンがよく絡んでたのは第三世代の上の三銃士であり、四天王だった)。
しかし映画「第三の男」しかり、みんな「第三」のものが好きなのねえと思う今日この頃。

Posted by ryosijj at 11:52│Comments(0)|Edit