観無量寿経‐古寺散策
観無量寿経 (無量寿仏観経)
浄土への往生する方法を案内する経典である、自土すなわち娑婆から十万億土の彼方にあるとされる、極楽浄土(厳浄の土)を心で観る、即ち「欣求(ごんぐ)浄土」(注4)に誘う経典である、設定は霊鷲山に於いて千二百五十人の比丘達、文殊菩薩を中心とした菩薩達に釈尊が説いたとされる物語である、王舎城の阿闍世太子(あじゃせたいし )が悪友である提婆達多(だいばだった)(Devadatta)に唆(そそのか)されて父王の頻婆娑羅(びんばしゃら)の殺害を計画する事から始まる。
中国や日本の浄土系宗派に於いての依経(えきょう)、すなわち拠り所とされる経典である、阿弥陀仏すなわち無量寿仏・観音菩薩・勢至菩薩の姿や浄土の情景を著した極楽浄土への往生する為の十六方法を惣想観(そうそうかん)と(十六観、後述)名ずけて示したマニアルとも言える経典である、即ち臨終の時に諸菩薩を従えた阿弥陀仏が迎えに来てくれると言う、因みに欣求浄土の対極に穢れた世界、すなわち厭離穢土(えんりえど)がある。
法然が唐僧で浄土教の大成者である善導が著した「観無量寿経疏」に出会い、日本に於いて浄土宗を興した根幹となる経典である。
経典の成立場所はインド、中央アジアや中国などでの説が交錯する、浄土三部経(注3)の一経であり阿弥陀仏、観音菩薩、勢至菩薩の様子や浄土の情景を述べている。
浄土宗・真宗、浄土真宗など念仏宗系の根本経典である、唯一の漢訳は五世紀中盤宋時代・疆良耶舎(きようりようやしや)の漢訳一巻が現存しているが、他には漢訳大蔵経の中にも存在しない、但し中村始氏に依ればウイグル語(Uyghur language)の経典に近い内容の典籍があると言う、梵語(saṃskṛta)、パーリ語(Pāḷi)で記述された観無量寿経(Sukhāvatīvyūha)は存在しない、シルクロード~中国撰述の偽経説も強い、但し疆良耶舎は西域の人でSanskrit名、kālayaśas(カーラヤシャス)と言われる人である。
因みに「観」とは観想すなわち仏を思い浮かべる事を云い、弥勒菩薩の兜率天を観想する観弥勒菩薩上生兜率天経などの観経と言う経典類がある、因みに浄土三部経(注5)とは阿弥陀経(小経・鳩摩羅什(くまらじゅう)訳)は観無量寿経(観経・疆良耶舍(きょうりょうやしゃ)訳)・大無量寿経(大経・康僧鎧(こうそうがい)訳)を言う、この三経をシステム化したのは中国ではなく法然と言われる、善導に付いては親鸞も多大な影響をうけており「高僧和讃」に於いて七高僧に挙げている、七高僧とは龍樹・世親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然を言う、七高僧の二の内で「天親」と「世親」(vasubandhu)は同一人物であるが、当初は天親と漢訳され玄奘以後に世親と定着した様である、親鸞の七高僧に対して法然は浄土五祖を挙げている、すなわち・曇鸞・道綽・善導・懐感・少康となる。
念佛と言えば南無阿弥陀仏であるが「法然の編集力、松岡正剛著、NHK出版」に依れば浄土三部経に於いても観無量寿経に二ヶ所記述があるのみで、Sanskrit語やpāḷi語の文献や史料には無いとの記述がある、善導による創語の可能性も考えられる、道綽(どうしゃく)は観無量寿経を解説して仏法を厳しい煩悩を断つ「聖道門」と自力を諦め誰でも可能な「浄土門」に分類した。
阿弥陀仏には「光明無量」「寿命無量」と言う意味があると言われる、これに付いて観無量寿経には光明の内に衆生を取り込んで捨てないと言う「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」の仏としている。
経典の成立した場所に関しては梵語経典及びチベット語経典が発見に至らないが、一応インドのマーガディー(Māgadhī マガダ語)の首都である王舎城(Rājagrha・ラージャグリハ )と言う事になっている、前述の様にウイグル語訳が存在する、経典の成立はインド・中央アジア・中国説が交錯して結論は出ていない、観無量寿経を絵画化した浄土変相図(浄土曼荼羅)もインドには存在せず、六世紀頃の作と考えられる中国トルフワンのトヨク石窟第20窟の壁画には阿弥陀浄土を観想する場面のみ画かれている。
経典で呼称される尊名即ち浄土三部経の中で阿弥陀如来、無量寿如来に使い分けであるが、大無量寿経では概ね「無量寿」が使われ「無量光」が一回である、観無量寿経では「阿弥陀」と「無量寿」は併用される、阿弥陀経に於いては「阿弥陀」が使われ無量寿が一回使われている。
経典の翻訳者とされる疆良耶舍は西域の僧で五世紀に中国に赴き翻訳に従事したとされる、最古の大衆小説とも言える「王舎城(おうしゃじょう)の悲劇」を著した経典で霊鷲山(りょうじゅせん)(耆闍崛山(ぎしゃくつせん))を舞台としている、登場人物は・頻婆沙羅(びんばしゃら)王・韋提希(いだいけ)妃(Vaidehī ヴァイデーヒー)、・阿闍世(Ajātasattu アジャータサットゥ)などで、物語は韋提希や阿闍世(あじゃせ)は登場しないで行者の瞑想する様子が描かれている。
因果応報が強調され思想的に道教と融合した面が言われており中国に於いて作られた可能性が高いと考えられる、疆良耶舍が著した処はトルフワンよりインドとの交易が遅く開かれた敦煌石窟に於いては観無量寿経変が存在しているが発生場所の確定は難しい、が弥勒上生経(弥勒参照)など観経関連に梵語経典は無い。
内容としては「惣相観(そうそうかん)」、すなわち十六観の内、日相観から十三段階を瞑想する定心での観想すなわち定善(じょうぜん)観、と十四から上・中・下品の三種を感得する散善観にある、阿弥陀浄土すなわち佛国土に於ける観想法を示しているが、大乗経典の共通項とも言える文学書すなわち世界初の小説(物語)との印象を受ける、マガダ国・皇子の阿闍世は悪友(提婆達多(デーバダッタ・ Devadatta)即ち釈迦の従兄弟で十大弟子の一人である阿難陀の兄で調達ともで)の扇動に乗り父であるマガダ国王の頻婆娑羅(びんばさら)王(ビンビサーラ Bimbisara)を殺害しようと幽閉する。
それを悲しんで頻婆娑羅王夫人であり阿闍世の母の韋提希(いだいけ)は息子に内緒で食料を運ぶが発覚して己も幽閉の身となる、この王舎城悲劇の状態に置かれた韋提希は釈迦如来に懺悔して浄土行きを願う所からこの物語は始まる。
観無量寿経や阿弥陀経に多く記述され浄土信仰の極地と言えるタームに阿耨多羅三藐三(あのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)(梵語のanuttara-samyak-sambodhi・アヌッタラー・サンミャク・サンボーデー)」がある、般若心経にも記述がある、阿耨多羅三藐三菩提とは「無上正等覚(Samyak saṃbuddha)」とも言い、総ての真理を正しく理解する最高の仏智を言う(注3)。
阿弥陀如来の姿形も説かれており「閻浮檀金(えんぶだごん)色(注2)の如く、身の丈八十万億那由他恒河紗由旬(ろくじゅうまんおくなゆたごうがしゃゆじゅん)、仏眼は四天海水の如く」等など説かれている、全身から放たれる光に修羅を除く六道の世界が表されている、ちなみに恒河紗とは梵語Gangaの音訳でガンジス河の砂の数を言う、那由他とは千億の数の単位を言う、また由旬は40里を1とする距離の単位を表わす。
一由旬(yojana・ヨージャナ)とは凡そ11.3km~14.5km前後を言う、また様々なものを生みだす宝珠即ちシャクラアビラグナ摩尼宝珠の天冠があると言う、摩尼宝珠(チンターマニCintāmaṇi)とは如意宝珠とも言い思いのままに願いをかなえる宝珠を言う。
釈迦如来が韋提希に阿弥陀如来の住む極楽浄土に生まれる為の三福十六観を教え極楽への往生の方法を示している。
釈迦の示した教えは定善観と散善観の所謂、定散二善である。
定善とは浄土世界を十三段階の情景を観想して往生する。
散善は浄土に往生する九種の方法(九品)を述べる、三福十六観 三福とは父母に孝養・慈悲心・三帰を受持して戒の威を守る・菩提心等を浄業と言う。
十六観とは「惣想観(そうそうかん)」とも言い以下の様になる。
1、 日想観(日没を見て浄土を観想‐‐定善観・初観とも言う)
2、 水想観(水を見て瑠璃の輝く浄土を観想‐‐定善観)
3、 地想観(浄土の土を観想‐‐定善観)
4、 宝樹観(宝石に輝く浄土の樹木を観想‐‐定善観)
5、 宝池観(宝の水を湛えた池を観想‐‐定善観)
6、 宝楼観(宝楼閣を観想‐‐定善観)
7、 華座想観(阿弥陀如来の華座を観想‐‐定善観)
8、 像想観(像を見て阿弥陀如来を観想‐‐定善観) 総ての人は仏心を持っており観想により往生が叶うとされ重要視されている。
9、 無量寿佛観(弥陀の奥の真実を観想‐‐定善観)
10、観世音観(観音菩薩を観想‐‐定善観)
11、大勢至観(勢至菩薩を観想‐‐定善観)
12、普観想観(如来、菩薩、浄土を観想‐‐定善観)
13、自在身観(丈六佛を池に観想‐‐定善観) 以上を定心(精神が定まる状態)
14、上輩観(上品三生を観想‐‐散善観) 以下を散心(精神が定まらない状態)
15、中輩観(中品三生を観想‐‐散善観)
16、下輩観(下品三生を観想‐‐散善観) 散心(さんじん)とは凡夫の信者が行く場所を言う。
また三種の業とは過去、未来、現在、三世の諸佛に於ける浄業の正因とされる、浄業(じょうごう)の正因(しょういん)とは過去、現在、未来に至る三世の諸仏が、覚りの為の清浄な修行を浄業と言う、覚りに至る為の正しい種であることを正因という。
観無量寿経の情景を描いたものを浄土変相図・浄土曼荼羅(注1)と呼ばれている、衆生が臨終をむかえるにあたり阿弥陀如来が二十五菩薩を従えて来迎するにあたり十一面観音に手に蓮の花が持たれその蓮に包まれて極楽浄土に行けるが、現世に於ける業により十二劫もの長期間に亘りつぼみの中に包まれたままになる事もあると言う、また観音菩薩や勢至菩薩の姿形が説かれている。
十六観の初めの日想観を著した著名な仏画に「山越阿弥陀図」(永観堂・絹本著色 掛幅装 138,0:118,0㎝ 鎌倉時代)(京博・絹本著色 掛幅装 120,6:80,3㎝)がある、禅林寺(永観堂)と京都国立博物館の作品がが国宝指定を受けている。
法然が師とした善導が著した観経疏の二河白道図(にがびゃくどうず)が著名である、貪欲の水の川と憎しみの火の川の間に懸る白い道を渡る様に勧める観想図である、法然は選択本願念仏集の第八章「念仏行者必可具足三心之文」等で、親鸞も教行信証、信巻や愚禿鈔、等々で紹介している、二河白道図は奈良国立博物館・京都光明寺所蔵・香雪美術館・萬福。
定善の悲しく美しい物語に於ける終着駅の実現を目指したのが当麻曼荼羅・智光曼荼羅・中宮寺の天寿国曼荼羅繍帳残闕が挙げられる、建造物では平等院・浄瑠璃寺・三千院・浄土寺などと言える。
浄土三部経の内、観無量寿経は法然の浄土宗が最高経典としており親鸞の浄土真宗・真宗は大無量寿経を一遍の時宗は阿弥陀経を最も重視しており浄土系でも相違がある、閑話休題、松岡正剛氏に依れば浄土教を標榜する六字名号すなわち「南無阿弥陀仏」であるが、浄土三部経の内で観無量寿経に於いて二か所の記述があるだけである。
阿弥陀如来の呼称であるが「大無量寿経」に於いては阿弥陀と言う用語は用いられず無量寿が殆どで無量光が一度使われている、「観無量寿経」に於いては阿弥陀と無量寿が併用されている、また「阿弥陀経」に於いては無量寿が一度で後は阿弥陀が呼称されている。
無量寿の語源であるが梵語名に諸説ある、無限(Amitā)・寿命(yus)の合成語で無量寿如来・Amitāyus buddha(アミターユス ブッダ)とする説と、無量光如来・Amitābhabuddha(アミターバ ブッダ・bhaは光)で「阿弥陀如来」は音訳である、a=否定接頭語 ・mita=ミタ、量る、 ・ābha=アーバ、光明、 ・āyus=アーユス、寿命を意味する、異論もあるが意訳を「無量寿如来」とされた様である。
源信は観無量寿経に於いて行われる観想念仏を「一乗要決」を著して体系化している。
中村元氏に依れば日本に於いて法華経と浄土三部経の存在感は高い、古来から存在する「勅撰和歌集」の内で「釈教和歌」の部には浄土三部経と法華経を題材にした作品が大勢を占めると言われる。
浄土三部経は平安時代の人々にも与えた影響は大きなものがある、清少納言は枕草子の百六十一段に極楽は「遠くて近きもの 極楽 船の道 人の仲」と書いている、ただ衆生には地獄は恐怖の場所であった様である、呪文をパロディー化するほど論理性にも秀でた清少納言でも“小部屋に隠れ臥した”と地獄絵の恐ろしさを枕草子の七十七段で記述している。
観想を勧め観無量寿経の先駆とも言える「般(はん)舟(じゅ)三昧(ざんまい)経(きょう)」(梵pratyutpannabuddha-saṃmukhāvasthita-samādhi-sūtra)と言う大乗仏教の走狗的経典がある、梵語原典は観られないが、チベット語訳と漢訳経典が現存する、閑話休題、観無量寿経には摂取不捨(せっしゅふしゃ)すなわち、摂(おさめ)め取って捨てないと書かれている。
観無量寿経の重要ポイントの一つに「九品往生」が説かれている、だれでも極楽に往生出来るが仏法を修行し得る能力即ち機根等々の相違により九品、要するに上品、中品、下品、さらに上生、中生、下生、の九パターンに分類される、九品の内で最劣の下品外生でも五逆を犯した者でも正しい導師から善智識すなわち南無阿弥陀仏を指導されれば往生が可能とされる、因みに五逆とは①父を殺す、②母を殺す、③僧侶を殺す、④佛の体に傷をつける、⑤教団の和を壊す事を言う。
観無量寿経の根幹とも言えるタームに”摂取(せっしゅ)不捨(ふしゃ)”がる、これは「光明無量」「寿命無量」に繋がり阿弥陀を意味する様だ。
注1、浄土変相図 通常浄土曼荼羅と呼ばれるが正式には浄土変相図であり密教の曼荼羅とは異質な内容である。
日本に於いて貴族たちの浄土往生願望から多く画かれた変相図は瑠璃光浄土(薬師如来) ・兜率浄土(弥勒菩薩) ・妙喜国浄土(阿?如来) ・盧舎那浄土変相図(大日如来) ・普陀落浄土変相図(観音菩薩)等がある、中でも多く制作された変相図が観無量寿経を初めとする浄土三部経の世界を絵画で表したもので、阿弥陀如来の極楽浄土の世界、即ち宝楼閣や宝池など極楽の情景を描き、観無量寿経に於いて十三画や阿闍世王物語などが描かれている。
代表的な浄土変相図に当麻寺・中宮寺等のものが上げられる。
浄土変相図の作品に同じく極楽浄土を画き阿弥陀経をベースとした智光曼荼羅と観無量寿経がベースの当麻曼荼羅と青海曼荼羅がある、但しどの浄土曼荼羅(変相図)も浄土三部経の真髄を伝えている。
以上の当麻曼荼羅・智光曼荼羅・清海曼荼羅を浄土三曼荼羅とも呼ばれている、清海曼荼羅とは藤原時代に興福寺の僧清海が7日間の超昇寺大念仏行を行い極楽浄土の変相図を画いたものを言う。
この他瑠璃光浄土を描く変相図に薬師八大菩薩(文殊菩薩・観音菩薩・勢至菩薩・弥勒菩薩・宝檀華菩薩・無尽意菩薩・薬王菩薩・薬師上菩薩)を描かれる事がある。
本来の曼荼羅と言えるものは密教の最高経典と言える両部大経すなわち大日経と金剛頂経の教義に言う曼荼羅を挙げれば、大日如来を中心として諸尊を配置し図に示したもので、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅をあわせて両界曼荼羅(真言宗に於ける正式名称は両部曼荼羅)と言い普門の曼荼羅とも呼ばれる。注2、閻浮檀金色 閻浮樹(えんぶじゅ)と言われる森の川から採取したとされる赤黄色をした優れた砂金の色。
注3、 浄土三部経の共通項は五濁悪世すなわち末余の衆生のために釈尊が阿弥陀如来の救済を説いた経典である、 浄土三部経 法然は自著「選択本願念仏集」にお於いて正しく浄土に往生する方法として「三経・一論これなり」と言う、三経とは浄土三部経であり、一論とはインド僧天親の浄土論(無量寿経優婆提舎(うばだいしゃ)願生偈(がんしょうげ))の事である、因みに浄土三部経を挙げると①仏説無量寿経 二巻 曹魏康僧鎧訳(大経) ②仏説観無量寿経 一巻 劉宋畺良耶舎訳(観経) ③仏説阿弥陀経 一巻 姚秦鳩摩羅什訳(小経)である、但し優先順位は宗派によりずれがある。
浄土三部経の精神は後白河法皇の編んだ「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」には「弥陀の誓いぞ頼もしき 十悪五逆の人なれど 一度御名を称ふれば 来迎引説(いんじょう)疑わず」にある。
因みに十悪五逆の内で十悪とは、身口意(からだ・言葉・心)で犯す十悪を言う、三密とは即ち
*身 *空 *意を用いれば *身体に相当を「印契を結ぶ」、*口で真言を唱える、*仏と一体即ち三摩地となる。
十悪とは、1殺生、2偸盗、3邪婬、4妄語、5両舌、6悪口、7綺語(きご)、8貧欲、9瞋恚、10愚痴。
五逆とは、1殺母、2殺父、3殺阿羅漢(聖者を殺す)、4出仏身血(仏身を傷つけ出血さす)、5破和合僧(教団を破壊する)となる。
「観無量寿経」は機の真実を説き「無量寿経」は法の本願を説く、更に「阿弥陀経」は機+法を合わせ説くとされている、阿弥陀経や観無量寿経に浄土信仰の極地とも言える「阿耨多羅三藐三(あのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)」が記述されている、阿耨多羅三藐三菩提(梵語のanuttara-samyak-sambodhi・アヌッタラー・サンミャク・サンボーデー)とは「無上正等覚」とも言う、総ての真理を正しく理解する最高の仏智を言う、また*無上正覚 *無上菩提等とも言われている。
浄土三部経であるが、同経の内「大無量寿経」巻上に一ヶ所「願はくは世尊 広くために諸仏如来の浄土の行を敷衍したまへ」の記述と語彙の近い「厳浄の土」の記述があるのみである、また梵語には浄土に該当するタームはない。
①仏説無量寿経 二巻 曹魏康僧鎧訳(大経) *阿弥陀如来誕生の由来。
②仏説観無量寿経 一巻 劉宋畺良耶舎訳(観経) *極楽に生まれる方法 ・念仏往生の方法。
③仏説阿弥陀経 一巻 姚秦鳩摩羅什訳(小経)である、但し優先順位は宗派によりずれがある。 *極楽浄土の情景を示す。
「仏説無量寿経 曹魏康僧鎧訳 「仏説観無量寿経」 劉宋畺良耶舎訳 「仏説阿弥陀経」姚秦鳩摩羅什訳
因みに十悪五逆の内で十悪とは、身口意(からだ・言葉・心)で犯す十悪を言う。
十悪とは、1殺生、2偸盗、3邪婬、4妄語、5両舌、6悪口、7綺語(きご)、8貧欲、9瞋恚、10愚痴。
五逆とは、1殺母、2殺父、3殺阿羅漢(聖者を殺す)、4出仏身血(仏身を傷つけ出血さす)、5破和合僧(教団を破壊する)となる。
注4、 欣求(ごんぐ)浄土とは極楽浄土すなわち阿弥陀仏の世界を願い求める事、欣求とは進んで法を求める事を言う。
穢れた現実世界即ち厭離(えんり)穢土(えど) が対句として使われる。
2006年10月22日 11月1日三福十六観 2007年10月6日注1 2009年4月19日注2 2015年3月3日 8月13日梵語 2016年1月21日 5月31日 10月15日注4他 2017年6月19日 2018年3月31日 2019年2月25日 2020年7月13日 10月17日加筆