高倉町珈琲の思想 ~ 横川竟のささやき ~
おかしい2025年03月14日
最近の世の中は、おかしなことばかりです。
昨年、一度、米の話をしましたが、先日、やっと「備蓄米の放出」が発表されましたが、とにかく遅い。
発表から放出までの時間が長く、放出量は不足解消にはほど遠い21万トンという少量、とりつくろいのためのみみっちい話で、国民の米の非常時とは思えない。100万トン以上出さないと価格は動かない。
不足した原因を発表せず、「今年も不足する可能性がある」などど、批判を受けることを事前にかわそうとしています。
昨年、農相は「新米が出たら供給が足りて、価格も下がり安定する。」とはっきり言ったではありませんか。それでも、米価は今も2倍を超えており、「効果がなければ追加する」など、どこから出て来るのでしょうか? 自分達に払った税金が、高い米価格維持のために使われていて、その高い米を買わなければいけないのはどう考えてもおかしい。安くておいしい米を作りたい人には作らせて、良質な米は、買いたい人がいれば輸出するにも補助金など不要です。国と農水省の目が「自分の国と国民」に向いておらず、行政の方向性が間違っているのです。。
もともと、日本人は、「もの静かな国民」というイメージがありました。
でも、そろそろ、「おかしいことはおかしいと発言し、情報の不足や間違いは問いを出して追求して変えさせる」ことをしないといけない時代になってきた気がします。私達の生活や国がつぶれてしまいます。
いつも言っていますが、国民・県民・市民・町民・村民のための仕事をするのがそれぞれの役所・行政の仕事です。窓口や庁舎内の人は一生懸命に仕事をしていますが、自治体や行政全体がこれまでやってきたやり方を続けているだけで時代に対応していない、そのことが問題なのです。時代に合わせて必要なコトを迅速にやることが必要で、世界と日本の流れをとらえて、この先に何が必要なのかを見極めて、方向を決めないといけません。
本当におかしいです。
赤色3号2025年02月14日
先月、アメリカでは着色料の「赤色3号」の食品使用が禁止されました。
日本では、食品添加物として認可されています。
添加物の利用・輸出入の基準は、国によってまちまちです。
それで思い出したのは、60年前、食料品店をやっていた時の話です。
ひばりが丘の「ことぶき食品」は団地の向かいの小さな商店街の中にありました。
隣は豆腐屋でした。毎朝、早くから豆腐づくりをしていたのですが、ある時から、早起きして豆腐をつくるのをやめてしまったのです。「どうしたの?」と聞くと、「新しい防腐剤ができたから、今日つくったのを明日売ればいいんだ。何日ももつからもう早く起きなくていいんだ。」ということでした。今は「保存料」という言葉を使っていますが、「防腐剤」はまさに「腐らせないためのモノ」でした。
「AF2」は、豆腐や魚肉ソーセージなどの食品添加物として厚生省が1965年に認可し、1974年に認可を取り消しました。
1980年頃、私はある研究会で「西丸震哉」さんという人に会いました。
農林水産省の食料研究所官能検査検査質の初代室長だった人で、AF2を認可した責任者だったそうです。
西丸さんから聞いて強く感じたことがいくつもありました。
・水銀は、体内に入ったら死ぬまで排出することができないので、体に入れてはいけない。
・AF2が認可される前に18歳になった人は、体ができあがっているのでアレルギー体質になりにくい。
・AF2の認可後にわかったこと、AF2は殺菌作用が強すぎて体内の細胞や「善玉菌」まで殺してしまい、病原菌の増殖を防ぐことができなくなり、色々な病気にかかってしまう。私がそれで思ったのは、はここ数十年で「難病」というのが多いこと、それが気になります。
その結果の認可取り消しです。役所というのは「誰かが決めたことは、裁判などで取り上げられない限り、他の人が変えることができない」ものなんだそうです。つまりAF2の認可を他の人が取り消すことが出来ない。だから、強力過ぎることがはっきりした以上、「あれは自分が決めたことだから、自分で認可を取り消す」と、実際に自分で認可を取り消し、数年後に役人を自主退官した人です。私は、その話を聞いた時に「本当に潔い人だ」と思いました。役人でここまで凄い人は他にはいませんでしたし、それ以前に人間としてとても尊敬しました。
知らないものを世の中に送り出す時、その安全性ということへの評価は大変難しいと思います。
ですから、「国が認可していても、『安全』自体がいつどう変わるかわからない」ということを覚えておかないといけません。自分の安全は、最終的には自分で守ることがとても大切です。国に任せることではありません。
そして、私達、食に関わる人は、「食べる人の健康」をいつも基本の基本として持っていないと仕事ができません。そもそも「使う必要があるのか」を再考することが必要です。見栄えの為に、長く持たせるために、余計なものを加えないといけないものを作って売るのか、ということです。
加工品は添加物が必要なこともあるかもしれませんし、AF2に替わる保存料は今も使われています。
でも、「レストラン」では、保存料は不要で料理を完成させることができるのです。
食べる人も、これは自分が食べていいものなのかどうか、自分で決めて食べる時代です。
私達は、その助けとなる、安全なものをお届けして、安心してもらう、とても重要な仕事をしています。
終ることはありません。だから、どんどんやり続けていくのです。
米の話2024年10月21日
「令和の米騒動」などというおかしなことがありました。
店頭から米袋がなくなり、地震への備えをしっかりやろうと、多くの人がバタバタする中、政府は備蓄米を放出しませんでした。これは明らかな間違いです。
「昨年の猛暑で生産量が少ない」「インバウンドの増加で消費が増えた」、一因かもしれませんが、付け足しでねじりだしたような言い訳に聞こえます。
食料自給率が38%程度しかない日本で、唯一の自給率100%なのが「米」です。
その米を日本が大事にしないでどうなるというのでしょうか?
食品の輸入が止まってしまったら、私達は自分達の食を確保できるのでしょうか?
農林水産省の資料では米の一人当りの年間消費量について、1962年は118kg、2022年は50kgとなっていますがこれは加工用や非食品用も含んだ数字、私の感覚では60kgが30kgになったという気がします。
昔、食べるものがなくて、配給をして食べた時代がありました。その頃の国の仕事は「皆に食べさせること」でした。その後、増産・減反など国策として進めた数十年の結果が現状です。今の日本の米は、どんどんおいしくなってきています。今の国の仕事は「食べたいと思うおいしい米をつくること」「安心して食べられる価格で米を売ること」、そしてそれに必要なことを整備していくことです。
先日の薬の話と同じ、国は国民のために仕えるのが仕事です。国民の生活を政治や経済の道具にすることなど、絶対にしてはなりません。
薬の話2024年10月11日
先日、病院の処方箋を持って薬局に行ったら「その薬はもうない」と言われました。
日本の大手製薬会社が「処方薬」としての製造を終了したのだそうです。
でも、同じ薬を「市販薬」として売り出していますとのこと、仕方がないので買って帰りました。
もちろん保険はききません。とてもおかしいことだと思います。
私の知人は、市販薬としての販売もしていない薬がなくなるそうでとても困っていました。
また、「ジェネリック医薬品(後発医薬品=特許の切れた新薬と同じ成分の薬等)を使って医療費が増えないようにしましょう。」と言って保険証に貼る「ジェネリック医薬品を希望します」というシールまで出していたのに、会社が行政指導を受けたので、その薬の生産量が極端に少なくなり入手できないと言われました。
これは私が感じることですが、厚生労働省が「医療費削減のため、製薬会社には処方薬を作らせずに、患者には市販薬を買わせる」ようにしている気がするのです。どう考えても話の筋が通らない。
筋の通らないことを私達は許して放置してはならないのです。
国は国民の命を守り生活を良くするのが仕事、政治家も役人も医者も製薬会社も病院も、それができないならやめて欲しいです。商売としては、国民・患者はお客様、お客様の役に立たないなら仕事をしていることにならない、人の社会が成り立たないことを忘れている気がしてなりません。