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2014年 11月

【じゃがいも村プロデュース公演】

麦人じか~ん
一人語り『智恵子とゐふ女』


一人語り『智恵子とゐふ女』

高村光太郎の詩集「智恵子抄」は1941年に初出版された。
私は1944年生まれだが、
自分が生まれる三年も前にこの詩集は世に出ていたわけだ。
1941年は第二次世界大戦の中、
日本が米英などの連合国に宣戦布告し、
泥沼の太平洋戦争に突入していった年である。
そんな厳しく混沌とした日本社会の中で、
男女の個人的愛の姿を描いたこのような詩集が出版されたのは、 まことに驚きであり、稀有なことではなかったのか…。
これまでに「智恵子抄」は、
小説・評論、映画・TVドラマ・舞台と、多くの表現分野でとりあげられており、
その捉え方、描かれ方はさまざまである。
光太郎は彫刻家としてもすぐれた作品を多く残しており、
芸術分野で発揮したその才能は並々のものではない。
ゆえにあの当時としては数少ない女流洋画家であった智恵子は、 その自身の芸術への希求を、光太郎との生活のために放棄した犠牲者だと捉える人もいる。
いや、光太郎が純粋に妻へ捧げた
愛の詩だと捉える人もいる。
ま、さまざまな論はさておき、今回私が上演する台本は、
原作の詩を一語一句、
可能な限り間違えぬよう忠実に語りたい。
詩でなく、光太郎が智恵子について記した散文については、
光太郎自身の書いた「智恵子の半生」と、「智恵子の紙絵」から一部抜粋し、
一人語りにするため、私なりの手を入れた。
それでも内容的には
光太郎自身の書いたものにほぼそっている。
ともかくこの舞台で光太郎になりかわり語る私自身は、
「智恵子抄」の詩をメインに、古希を過ぎた今の私が感じるままの、一つの夫婦世界を、
可能な限り私自身の世界として、お客様にとどけられればよいと願っている。
そしてあわよくばお客様それぞれが、
お一人、お一人、独自に歩んでこられた人生と重ね、過去を思い、
未来を思ってくださるような舞台になれば幸いだと思うのである。

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