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◾️イエス、映画館へ行く
信じられないかもしれないが、初期のイエスはよく一緒に映画館に行っていた。
まだ車がなかった時代のことだ。バンドは機材やローディーと一緒にバンで移動していた。
サウンド・チェックをするために、ライヴにかなり早く行くこともあった。サウンドチェックが午後5時ごろになることも多く、ライヴが始まるまで3、4時間ぶらぶらしなければならなかった。
信じられないほど早くギグに着いたこともあったし、何もすることがなかったから、バンが街の中心部で私たちを降ろしてくれたことも覚えている。
当時は、マイケル・テイトとルー・ルウェリンという2人のローディがいて、私たちを置いて、その晩演奏する会場まで車で行ってくれた。
実はジョン・アンダーソンが映画館に行くのが大好きだったんだ。彼は「やることないし、映画でも観に行こうぜ 」って言うんだ。
イエスはよくそうしていた。
みんな行くんだけど、たいてい私かビルが文句を言うんだ、 「こんなことしたくない。ギグをやりたいんだ」ってね。
でも、クラブがまだオープンしていなかったり、機材のセッティングが必要だったりと、とにかく待たなければならない。他にすることがあっただろうか?
1968年、デヴォンのプリマスでセルジオ・レオーネ監督の映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』を観たことを覚えている。
カウボーイ映画は嫌いだったけど、あの映画は大好きだった。エンニオ・モリコーネの音楽も素晴らしかった。
バンドの誰かが、「ああ、カウボーイの曲をやるべきだ!」と言ったのを覚えている。私たちは皆、ただ呻き、唸るばかりだった。
もちろん後に、疾走感のあるテンポのカウボーイのパスティーシュを少し作ったよ。
映画館でのイエスの思い出で最も奇妙だったのは、ウェールズのスウォンジーでのことだと思う。
大反対の中、『サウンド・オブ・ミュージック』を観たんだ。いつも雨が降っていて、冷たい雨の午後だった。
当時はパブでさえそんなに早くは開いておらず、午前2時に閉店し、午後6時に再開していた。だから本当に行くところがなかった。
みんなで『サウンド・オブ・ミュージック』を観たけど、大嫌いだったのを覚えている。みんなでバカにしていたんだ
でも、ウェールズで雨の降る退屈な平日に『サウンド・オブ・ミュージック』を観るイエスたちの姿は、とても異様だと思わないかい?
◾️アウトバーンの事故
イエスのツアー初期は楽しいことばかりではなかった。ある悲惨な経験を覚えている。
バンドがよりハードに活動し、ギグを重ねるにつれて、最終的にはマネージャーのロイ・フリン所有の車を手に入れた。とても安全なボルボだった。
ドイツのハンブルグに向かう途中、アウトバーンで一度事故を起こしたんだ。
笑い話にはならない。イエスの終わりだったかもしれないんだから。
ギグをやるためにハンブルクまでドライブしていたんだけど、よく雨の降る夜で、遅刻してしまったんだ。
バンド全員がボルボに乗っていて、クリス・スクワイアが運転していた。イギリスからドイツまでの長いドライブだった。
私はいつも前の席に座っていた。私は寝ない男で、他の連中はいつでも寝てしまうからね。だから運転する人を眠らせないように、常にしゃべったりしていたんだ。
この日の夜、目が覚めると車が動いていた。斜めに、ほとんど横向きだった。
窓にいろんなものがぶつかったのを覚えている。ディズニーランドの乗り物みたいだった。
外は真っ暗で何も見えなかった。
音は 「バン、バン、バン 」って感じで、そのうち車が止まったんだ。
それでクリスも目を覚ました。
私は明らかに眠っていた。クリスもそうだったし、後ろに乗っていたビル、トニー、ジョンもそうだった。
後でわかったことだが、私たちはフリーウェイをかなり速いスピードで下っていた。車はフリーウェイの脇の側溝に入り、それに沿って4〜500フィートほど横向きに進んだんだ。車を減速させたのは、車にぶつかっていた茂みや木々だった。
驚いたことに、誰も怪我をしなかった。車が止まったとき、私たちはただ黙ってそこに座っていた。
車が爆発するんじゃないかと待っていたんだけど、幸運なことに何も起こらなかった。
そして、後部座席から 「何が起こったんだ?」というつぶやきが聞こえてきた。
みんなが目を覚ましていた。そして私たちは車を降りて、この溝からよじ登った。
さっきも言ったように、汚い夜だった。雨が降っていて、とてもぬかるんでいた。
4〜500フィートほど戻ったところに、車が道路からはみ出したスリップ痕があった。
そして車は、この大きなコンクリートの支柱に数センチの差でぶつかり損ねた。もう少しでおそらく全員死んでいただろう。その代わりに車は溝に入って、茂みとかが車を止めたんだ。
実は自動車は無事だった。
電話を見つけて、この溝から車をレッカー移動させなければならなかった。
バンドは車が完全にボロボロだと思ったが、大丈夫だった。ラジエーターに亀裂があったのと、アンテナが壊れていただけだった。
スピリチュアルな意味で、私たちはグループとして、まだ何かをする運命にあるのだ、だからこの事故で全員が死ぬことはなかったのだと、私はよく考えていた。
でも運が良かっただけなのかもしれない。
ハンブルグでのギグにはかなり遅れて到着したんだけど、実際には間に合ったんだ。そのままステージに上がってプレイしなければならなかった。
そして、事故のことについては誰も何も話していなかった。事故が起きてから私たちが考えていたのは「これでもっと遅くなる」ということだけだった。
ライヴが終わった後、たぶん夜中の2時くらいだったと思うんだけど、私はどうしようもなく震えていたのを覚えている。一種の遅延性ショックだったと思う。
でも、ショーは続行された。とてもいいセットを演奏できたとは思えないけどね。
(つづく)