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アブー・ムーサー島 - Wikipedia

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位置

アブー・ムーサー島(アブー・ムーサーとう、ペルシア語: ابوموسی、アラビア語: أبو موسى)は、ペルシャ湾東部に浮かぶ。面積12平方キロメートル。ホルムズ海峡入り口付近にある、6個の島からなる諸島の一部。イランホルモズガーン州に属するが、アラブ首長国連邦も領有権を主張している。

島は古代からイランの一部であったが、20世紀初頭になるとイギリスが支配した。イギリスは、後のアラブ首長国連邦領の島々と一緒にアブー・ムーサー島を統治した。

1960年代後半、イギリスは統治権を現在のアラブ首長国連邦の首長国の一つであるシャールジャに渡した。1968年、イギリスが1971年末までにスエズ以東の支配放棄を宣言すると、アラブ首長国連邦の独立の2日前の1971年11月30日にイラン帝国がアブー・ムーサー島を併合した。同年、シャールジャとイランは、「島の主権はアラブ首長国連邦にあるが、イラン軍の島への駐留を認める」ことに合意した。なお、同じくイラン軍に占領された大・小トンブ島について、ラアス・アル=ハイマはイランとの合意を拒否した[1]

1980年、アラブ首長国連邦は領有権の主張を国連へ訴えた。1992年、イランは島の支配を強め、アラブ首長国連邦が援助している学校、病院、発電所で働く外国人労働者を追放した。

  1. ^ 石田進 (1993). “湾岸諸国間の領土紛争 一アブー・ムーサ島、大・小トンブ島、シッリ島の場合一”. 国際大学中東研究所紀要 (7): 29-45.

座標: 北緯25度52分33秒 東経55度02分10秒 / 北緯25.8758度 東経55.0361度

西アジアにおける領有権紛争

形状 領土 実効支配している国 領有権を主張している国
土地: ダヴィド・ガレジ複合修道院 ジョージア ジョージア・アゼルバイジャン
ゴラン高原2 イスラエル イスラエル・シリア
ハタイ県 トルコ トルコ・シリア
ナゴルノ・カラバフ アゼルバイジャン アルメニア・アゼルバイジャン
キプロス島北部 北キプロス キプロス北キプロス
シェバー・ファームズ イスラエル イスラエル・シリア・レバノン
ヨルダン川西岸地区ユダヤ・サマリア地区)・東エルサレム イスラエル パレスチナ・イスラエル
島・水域: アブー・ムーサー島大小トンブ島英語版 イラン イラン・アラブ首長国連邦
キタ・ジャラーダ英語版 バーレーン バーレーン・カタール
ファシート・アド・ディバル英語版 カタール バーレーン・カタール
イミア英語版 ギリシャ ギリシャ・トルコ
クリアムリア諸島 オマーン オマーン・イエメン