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イタリア共和国 (1802年-1805年) - Wikipedia

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イタリア共和国 Repubblica Italiana (イタリア語)
イタリアの国旗 イタリアの国章
国旗国章
イタリアの位置
1803年のイタリア共和国(中央部の黄緑)
公用語 ロンバルド語エミリア・ロマーニャ語イタリア語
首都 ミラノ
大統領
1802年 - 1805年 ナポレオーネ・ボナパルテ(フランス共和国統領ナポレオン・ボナパルト)
変遷
成立 1802年1月26日
廃止されイタリア王国となる1805年3月19日
イタリアの歴史

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古代

エトルリア 8C-1C BC
マグナ・グラエキア 8C-7C BC
王政ローマ 753 BC-509 BC
共和政ローマ 509 BC-27 BC
ローマ帝国 27 BC-(395 AD)
西ローマ帝国 395-476/480

現代

イタリア共和国 1946-現代
鉛の時代 1970s-1980s

イタリア ポータル

イタリア共和国(イタリアきょうわこく、イタリア語: Repubblica Italiana)は、19世紀初頭(ナポレオン戦争期)のイタリア北部に短期間存在したフランスの衛星国(姉妹共和国)である。1802年1月、チザルピーナ共和国ナポレオン・ボナパルトを大統領として移行[1][2]。大統領府はミラノに置かれた。1805年イタリア王国へ移行した[1]

チザルピーナ共和国の代表がナポレオン・ボナパルトを大統領として1802年1月26日に移行宣言した国である[1]。副大統領にはミラノ貴族のフランチェスコ・メルツィ・デリル英語版が任命された[3]1803年9月、イタリア共和国はカトリックを国教としたうえで信教の自由を認め、司教の任命権を国家が有するという内容の政教協約をローマ教皇と結んだ[3]

地方行政制度にかんしては、1802年7月の法令でフランス同様、県・郡・コムーネに行政区分する措置がとられた[3]。また、1802年8月には徴兵制が定められた[3]

ナポレオンは1804年にフランス皇帝戴冠、そして1805年5月26日ミラノのドゥオーモにてイタリア王の戴冠を行い、イタリア共和国は廃止されイタリア王国へと改組された[1]

イタリアに存在した国

古代
中世前期
中世盛期から近世
ローマ劫掠以後に
建国された国家
近代
フランス革命政府
姉妹共和国
ナポレオン帝国
衛星国
ナポレオン戦争後に
建国された国
イタリア統一後から
WW2終結まで存在した国
現代