サクラトウコウ - Wikipedia
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サクラトウコウ | ||||||||
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欧字表記 | Sakura Toko[1] | |||||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||||
性別 | 牡[1] | |||||||
毛色 | 鹿毛[1] | |||||||
生誕 | 1981年3月11日[1] | |||||||
死没 | 2006年11月17日(25歳没) | |||||||
父 | マルゼンスキー[1] | |||||||
母 | サクラセダン[1] | |||||||
母の父 | セダン[1] | |||||||
生国 |
![]() | |||||||
生産者 | 谷岡牧場[1] | |||||||
馬主 | さくらコマース[1] | |||||||
調教師 | 境勝太郎[1] | |||||||
競走成績 | ||||||||
生涯成績 | 12戦4勝[1] | |||||||
獲得賞金 | 9823万4000円[1] | |||||||
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サクラトウコウ(欧字名:Sakura Toko、1981年3月11日 - 2006年11月17日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1983年の函館3歳ステークス、1986年の七夕賞。
種牡馬としては1994年の天皇賞・秋を制したネーハイシーザーなどの活躍馬を輩出。全弟に1987年の朝日杯3歳ステークス、1988年の東京優駿などを制したサクラチヨノオー、半弟に1988年の朝日杯3歳ステークスなどを制したサクラホクトオーがいる。
1983年8月6日、函館競馬場第3Rの3歳新馬戦でデビュー。2着に敗れるも27日の新馬戦にて勝利した。翌9月、函館3歳ステークス(グレード制導入前)を優勝した。続いて京成杯3歳ステークス、スプリングステークスを4着、2着(1着はビゼンニシキ)と好走するも、脚部不安により残りの春シーズンを棒に振り、京都新聞杯に出走するも3番人気を裏切る8着に敗れた。さらに菊花賞、ダービー卿チャレンジトロフィーも着外に終わり、年末のクリスマスステークスでようやく1年振りの勝利を掴んだ。その後はニューイヤーステークス2着を挟み、5ヶ月後の吾妻小富士賞を2着。そしてGⅢ・七夕賞[注釈 1]に出走し見事優勝した。このレースを最後に競走馬を引退する。
以下の内容は、netkeiba.com[2]に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム (上り3F) |
着差 | 騎手 | 斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) | 馬体重 [kg] |
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1983.8.6 | 函館 | 3歳新馬 | 芝1200m(良) | 6 | 5 | 5 | 2.9(2人) | 2着 | 1:12.0 | 0.2 | 東信二 | 53 | ワッカオー | ||
8.27 | 函館 | 3歳新馬 | 芝1000m(良) | 7 | 2 | 2 | 1.2(1人) | 1着 | 0:58.3 | -1.9 | 東信二 | 53 | (アドバンスボーイ) | ||
9.25 | 函館 | 函館3歳S | 重賞 | 芝1200m(不) | 12 | 7 | 9 | 3.1(1人) | 1着 | 1:14.7 | -0.3 | 東信二 | 53 | (リキサンパワー) | |
11.6 | 東京 | 京成杯3歳S | 重賞 | 芝1400m(不) | 12 | 2 | 2 | 3.4(1人) | 4着 | 1:26.5 | 0.9 | 東信二 | 54 | ハーディービジョン | |
1984.3.25 | 中山 | スプリングS | GII | 芝1800m(良) | 13 | 7 | 10 | 11.9(3人) | 2着 | 1:50.7 | 0.1 | 小島太 | 56 | ビゼンニシキ | |
10.21 | 京都 | 京都新聞杯 | GII | 芝2200m(良) | 18 | 1 | 2 | 9.0(3人) | 8着 | 2:15.8 | 1.2 | 小島太 | 57 | ニシノライデン | |
11.11 | 京都 | 菊花賞 | GI | 芝3000m(稍) | 18 | 5 | 9 | 23.4(5人) | 9着 | 3:10.4 | 3.6 | 東信二 | 57 | シンボリルドルフ | |
12.2 | 中山 | ダービー卿CT | GIII | 芝1600m(良) | 17 | 4 | 8 | 6.5(2人) | 7着 | 1:34.0 | 0.5 | 小島太 | 53 | トウショウペガサス | |
12.22 | 中山 | クリスマスS | OP | 芝1600m(稍) | 15 | 5 | 9 | 4.1(1人) | 1着 | 1:34.2 | -0.2 | 小島太 | 54 | (ウメノフーリン) | |
1985.1.7 | 中山 | ニューイヤーS | OP | 芝1600m(良) | 14 | 7 | 11 | 2.0(1人) | 2着 | 1:34.5 | 0.2 | 小島太 | 56 | ウメノフーリン | |
1986.6.21 | 福島 | 吾妻小富士賞 | OP | 芝1800m(良) | 7 | 4 | 4 | 7.4(5人) | 2着 | 1:47.4(35.3) | 0.2 | 東信二 | 56 | ダイヤモンドラーン | 500 |
6.6 | 福島 | 七夕賞 | GIII | 芝2000m(不) | 13 | 7 | 11 | 8.0(5人) | 1着 | 2:03.7(38.2) | -0.2 | 東信二 | 56 | (ダイヤモンドラーン) | 496 |
引退後は血統が評価されて種牡馬となり、天皇賞(秋)に優勝したネーハイシーザーをはじめ活躍馬を多く輩出した。産駒にはスピードに秀でた馬が多く、ネーハイシーザーやマルタカトウコウは多くのレコードタイムを更新した快速馬として知られる。その後2003年10月2日付で用途変更[3]、種牡馬を引退した。晩年は生まれ故郷の谷岡牧場で過ごし、2006年11月17日に老衰で死亡した。25歳没。谷岡牧場に墓標がある[4]。
- 1990年産
- ネーハイシーザー(天皇賞(秋)、毎日王冠、産経大阪杯、京阪杯、中日スポーツ賞4歳ステークス)
- マルタカトウコウ(栗東ステークス(OP)2回、プロキオンステークス[注釈 2](OP))
- 1991年産
- 1996年産
- ゴルデンコーク(サラブレッド3歳優駿、サラブレッドヤングチャンピオン、ゴールドジュニア)
- ミハタオウジャ(坂東太郎賞、宇都宮記念、織姫賞)
- 1998年産
- コイノボリ(三歳優駿)
サクラトウコウの血統(マルゼンスキー系(ニジンスキー系)) | (血統表の出典) | ||
父 マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
父の父 Nijinsky1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
父の母 *シルShill 1970 鹿毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Quill | Princequillo | ||
Quick Touch | |||
母 サクラセダン 1972 鹿毛 |
*セダン Sedan 1955 鹿毛 |
Prince Bio | Prince Rose |
Biologie | |||
Sraffa | Oresenigo | ||
Signa | |||
母の母 *スワンズウッドグローヴSwanswood Grove 1960 黒鹿毛 |
Grey Sovereign | Nasrullah | |
Kong | |||
Fakhry | Mahmoud | ||
Fille de Salut F-No.16-a |
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