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ダイオライト - Wikipedia

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(2015年2月)

ダイオライト[1]
欧字表記 Diolite[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 黒鹿毛[1]
生誕 1927年[1]
死没 1951年8月25日(24歳没・旧25歳)
ディオフォン[1]
ニードルロック[1]
母の父 ロックサンド[1]
生国 イギリスの旗 イギリス[1]
生産者 C・W・バーキン大佐[2]
馬主 サー・ヒューゴー・ハースト準男爵英語版
調教師 フレッド・テンプルマン英語版(イギリス)
競走成績
生涯成績 24戦6勝
獲得賞金 £ 17,066[2]
勝ち鞍 英2000ギニー (1930)
繁殖成績
タイトル首位種牡馬 (1941-1943, 1946)
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ダイオライトDiolite)はイギリス競走馬。競走馬として2000ギニーステークスなどを制し、1935年日本宮内省下総御料牧場によって種牡馬として宮内省の農林技士であった横屋潤井上綱雄に購買され輸入。日本初の三冠馬セントライトなどを送り出した。1941年 - 1943年1946年日本リーディングサイアー

経歴

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日本輸入まで

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2000ギニー馬ディオフォンの初年度産駒の一頭。産まれて間もない頃はかなり小柄だったためあまり期待されず、ニューマーケットのイヤーリングセールでは480ギニーの値しか付かなかった。しかし競走年齢に達する頃には立派な体格に成長し、2歳時にコヴェントリーステークスモールコームステークスなどを制してイギリス2歳馬チャンピオンとなり、3歳になってクラシック初戦の2000ギニー[注 1]を制した。これは父ディオフォンとの父子制覇ともなっている。エプソムダービー当日は「ダイオライト・デー」と呼ばれるほどの大本命となったが、3着に敗れている。

24戦6勝の成績を残して4歳をもって競走馬を引退し、その後は同地で種牡馬となったが活躍馬に恵まれず、1935年に日本の宮内省が管理する下総御料牧場に導入された。種牡馬として精彩を欠いていたとはいえ、近代競馬発祥の地イギリスのクラシック競走優勝馬が日本に輸入されるのは当時異例のこと[注 2]であり、購買価格は8500ギニー、当時の日本円でおよそ18万円[注 3]と極めて莫大なものになった。この輸入は当時の人々の耳目を集め、宮内省主導の輸入であったこともあり、ダイオライトの横浜税関到着時には政府高官を対象とした観覧に供された。その雄大な馬格はそこで概ね好評を博したが、御料牧場の関係者は後ろ脚が曲がっていることを危惧し、「本当に大丈夫なのか」という疑問の声も上がったという。

種牡馬として

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日本における種牡馬生活を開始した初年度から1940年の中山四歳牝馬特別(現・桜花賞)優勝馬タイレイ、京都農林省賞典四歳呼馬(現・菊花賞)優勝馬テツザクラを送り出し、不安を杞憂に変えた。特にテツザクラの長距離戦における優勝は、ダイオライトの産駒傾向はスピードタイプになると目されていたために驚きをもって迎えられた。翌1941年にはセントライトが連戦連勝。2戦目で横浜農林省賞典四歳呼馬(現・皐月賞)に優勝し、東京優駿は現在まで史上最大着差タイの8馬身差で圧勝、引退レースとなった京都農林省賞典四歳呼馬も制し、日本初のクラシック三冠馬となった。

セントライトの大活躍によりダイオライトの評価はますます高まり、翌年末より始まった太平洋戦争中にもクラシック優勝馬を含む多くの活躍馬を送り出した。セントライトが活躍した1941年から1943年まで3年連続のリーディングサイアーとなり、戦争激化による競馬休止から明けた1946年にもリーディングを獲得している。戦後も秋の天皇賞トヨウメなど活躍馬を送り出していたが、1951年夏、老衰により24歳で死亡した。

代表産駒セントライトは種牡馬としてもまずまずの成績を残したが、父系を繋ぐまでには至らなかった。しかしダイオライトはブルードメアサイアーとしても優秀な成績を残し、ハクチカラハクリヨウなど多くの名馬に影響を与えた。

またダイオライトが日本に輸入された年にフランスで産まれた牝駒ニンフディクテ (Nymphe Dicte) は、繁殖牝馬としてプール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)の勝ち馬ディクタウェイ (Dictaway) を産んでいる。ディクタウェイもまた母になると、ガネー賞ワシントンDCインターナショナルの勝ち馬ダイアトム (Diatome) を産んだ。そしてダイアトムは種牡馬として、春の天皇賞クシロキングアイリッシュダービースティールパルス (Steel Pulse) などを出している。

繋養されていた千葉県にある船橋競馬場では、その功績を記念した重賞競走ダイオライト記念が行われている。

主な産駒

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太字は八大競走優勝馬

牝駒の主な産駒

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上記のうち、オーハヤブサ・ケゴン・チエリオ・マツカゼオーはオーマツカゼを母とする兄弟、クリヒデ・クリペロはケンタッキーを母とする兄弟である。

血統

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ダイオライト血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 エクリプス系
[§ 2]


Diophon
1921 栗毛

父の父

Grand Parade
1916 青毛
Orby Orme
Rhoda B.
Grand Geraldine Desmond英語版
Grand Marnier

父の母

Donnetta
1900 鹿毛
Donovan Galopin
Mowerina
Rinovata Wenlockwikidata
Traviata


Needle Rock
1915 鹿毛
Rock Sand
1900 黒鹿毛
Sainfoin英語版 Springfield英語版
Sanda
Roquebrune St. Simon
St. Marguerite

母の母

Needlepoint
1908 鹿毛
Isinglass Isonomy
Dead Lock
Etui Bread Knife
Pindi
母系(F-No.) 4号族(FN:4-p) [§ 3]
5代内の近親交配 Galopin: S4×M5×M5、Wenlock: S4×M5×M5、St. Simon: M4×S5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ[3]netkeiba.com[4]
  2. ^ netkeiba.com[4]および競馬ラボ[5]
  3. ^ JBISサーチ[3]、netkeiba.com[4]
  4. ^ netkeiba.com[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ この第122回2000ギニーは28頭立てで行われ、現在に至るまで史上最多出走頭数となっている。
  2. ^ ダイオライトは史上初めて日本の地を踏んだイギリスクラシック優勝馬である。
  3. ^ この翌年に民間の小岩井農場が導入した種牡馬プリメロの購買価格が、当時最新の戦闘機1機分とされる6万円であった。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j ダイオライト(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2025年1月18日閲覧。
  2. ^ a b “Turf News in Brief” (英語). The Evening Post英語版. ニュージーランド国立図書館英語版: p. 6. (1935年9月5日) 2025年1月18日閲覧。
  3. ^ a b 5代血統表|血統情報|ダイオライト(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2025年1月18日閲覧。
  4. ^ a b c d ダイオライト (Diolite)の血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2025年1月18日閲覧。
  5. ^ ダイオライトの種牡馬情報”. 競馬ラボ. 株式会社ドゥイノベーション. 2025年1月18日閲覧。

外部リンク

[編集]

1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代