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フラワーボウル
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フラワーボウル | |
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欧字表記 | Flower Bowl |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1952年 |
死没 | 1968年4月16日 |
父 | Alibhai |
母 | Flower Bed |
母の父 | Beau Pere |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | Brookmeade Stable |
馬主 | Brookmeade Stable |
競走成績 | |
生涯成績 | 32戦7勝 |
獲得賞金 | 174,625ドル |
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フラワーボウル(Flower Bowl、1952年 - 1968年)とは、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、および繁殖牝馬である。とくに繁殖牝馬として優れ、アメリカ殿堂馬ボウルオブフラワーズなどの活躍馬を送り出した。
ブルックミード・ステーブル(英語版)名義のもとで競走生活を送った馬で、競走馬時代にはデラウェアハンデキャップとレディーズハンデキャップでステークス競走勝ちを収めている。
引退後は1957年よりブルックミード・ステーブルで繁殖牝馬となった。この翌年に生まれた第1子がボウルオブフラワーズ(Bowl of Flowers)で、同馬は2歳時から活躍、翌年にはエイコーンステークスとコーチングクラブアメリカンオークスの牝馬二冠を達成する大きな成果を挙げた。
1962年にブルックミード・ステーブルの所有者であったイザベル・ダッジ・スローン(英語版)が死亡すると、フラワーボウルはウィンストン・ゲストの手に渡り、その後キングランチを運営するジョン・W・ガルブレスに購入された。このガルブレスの牧場で最初に生まれた産駒がグロースターク(Graustark 1963年生、牡馬)で、同馬もまた競走馬として2歳から活躍した。クラシック出走前に怪我により引退したが、種牡馬としても成功し、ダービーダンファームの生産の柱となった。
フラワーボウルは1968年4月16日、グロースタークの全弟にあたるヒズマジェスティ(His Majesty 1968年生、牡馬)を産んで間もなく死亡した。ヒズマジェスティはグロースタークと同様に種牡馬として活躍し、リボーの系統を伸ばした代表的な種牡馬となっている。
フラワーボウルの子孫の牝系からは、まだこれといった著名な競走馬は出ておらず、ボウルオブフラワーズの子に種牡馬として成功したウィスキーロード(Whiskey Road 1972年生、牡馬 父ニジンスキー)がいる程度である。
フラワーボウルの遺骸はダービーダンファームの墓地の、アイドルアワーストックファーム時代の名牝ブロッサムタイムの隣に埋葬されている。
※当時はグレード制未導入
- 1956年(4歳)
- デラウェアハンデキャップ、レディーズハンデキャップ
- 1978年 - ベルモントパーク競馬場に、フラワーボウルの名を冠したフラワーボウルインビテーショナルステークス(G1)が創設される。
フラワーボウルの血統(ハイペリオン系/Gainsborough 3x5=15.63%、 Bay Ronald 5x5=6.25%) | (血統表の出典) | ||
父 Alibhai 1938 栗毛 イギリス |
父の父 Hyperion1930 栗毛 イギリス |
Gainsborough | Bayardo |
Rosedrop | |||
Selene | Chaucer | ||
Serenissima | |||
父の母 Teresina1920 栗毛 イギリス |
Tracery | Rock Sand | |
Topiary | |||
Blue Tit | Wildfowler | ||
Petit Bleu | |||
母 Flower Bed 1946 鹿毛 アメリカ |
Beau Pere 1927 青鹿毛 イギリス |
Son-in-law | Dark Ronald |
Mother in Law | |||
Cinna | Polymelus | ||
Baroness la Fleche | |||
母の母 Boudoir1938 芦毛 イギリス |
Mahmoud | Blenheim | |
Mah Mahal | |||
Kampala | Clarissimus | ||
La Soupe F-No.4-d |
- Etched in Stone : Thoroughbred memorials [p.82-83] (2000 著者: Lucy Zeh、 出版: Blood-horse Inc. ISBN 1-58150-023-8)