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ペニョン・デ・アルセマス - Wikipedia

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ペニョン・デ・アルセマス

地図
所在地 スペインの旗 スペイン
所在海域 地中海
座標 北緯35度12分48秒 西経03度53分21秒 / 北緯35.21333度 西経3.88917度
面積 0,015 km²
最高標高 27 m
プロジェクト 地形
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ペニョン・デ・アルセマス、ペニョンデアルセマス(Peñón de Alhucemas)は、地中海西部にあるスペイン領の小島。モロッコの都市アル・ホセイマの湾の沖合300mに浮かび、最も近いスペイン領は84km離れたメリリャである。近くにある2つの無人島、ティエラ島、マル島とともにアルセマス諸島英語版の名称がついている。また、セウタメリリャの2つの自治都市、チャファリナス諸島ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラと共にプラサス・デ・ソベラニアを構成する。

島は最長で170m、幅86mで、面積はわずか1.5ヘクタールしかない。標高最高地点は北側の27mである。島の周囲は480mで、大半が切り立った崖に囲まれている。島内には様々な時代の建物、元の要塞や兵舎が残る。教会、灯台、数軒の民家、港、商店もある。船の定期便がスペイン本土からやってくる。この島は、セウタ、メリリャ、イベリア半島とを結ぶ海底ケーブルの中継地点である。スペイン陸軍の第32砲兵連隊が駐留している。ペニョン・デ・アルセマスに隣接する小島ラ・プルペラは橋でつながっており、かつては墓地であった。

夜のペニョン・デ・アルセマス

ペニョン・デ・アルセマスは、1560年にサアド朝スルタン、ムーレイ・アブダッラー(アブドゥッラー・アル=ガリブ英語版)によってバルバリア海賊防衛のためスペイン王国へ割譲された。カルロス2世時代はカビル人との貿易が盛んに行われたが、その後は政治犯を含む犯罪者の流刑地となった。1902年、フランスがペニョン・デ・アルセマスのスペイン主権を承認した。リーフ戦争さなかの1921年にはアブド・エル・クリムが島を襲った。1922年にはカビル人勢力が島沖で蒸気船を沈めた。モロッコ戦争さなかの1925年にはスペイン海軍のアル=ホセイマ上陸英語版の前線基地となった。

アフリカにおける領有権紛争

形状 領土 実効支配している国 領有権を主張している国
土地: ハラーイブ・トライアングルワジハルファ突出 エジプト エジプト・スーダン
ビル・タウィール 無主地 なし(エジプトはスーダン領であると主張、スーダンはエジプト領であると主張)
イレミ・トライアングル ケニア ケニア・南スーダンエチオピア
バドメ エチオピア エチオピア・エリトリア
バカシ半島 カメルーン カメルーン・ナイジェリア南カメルーン
北東州 ケニア ケニア・ソマリア
ヘグリグ スーダン スーダン・南スーダン
アビエイアビエイ地区 不明 スーダン・南スーダン
ブーホードレ 住民による自治 ソマリランドプントランド
アオゾウ地帯 チャド チャド・リビア
西サハラ サハラ サハラ・モロッコ
プラサス・デ・ソベラニアセウタメリリャチャファリナス諸島ペニョン・デ・アルセマスペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラペレヒル島 スペイン スペイン・モロッコ
島・水域: アブドゥルクーリー島 イエメン イエメン・ソマリア
ミギンゴ島 ケニア ケニア・ウガンダ
チラン島 エジプト エジプト・サウジアラビア
コリスコ島 赤道ギニア 赤道ギニア・ガボン
マヨット フランス フランス・コモロ
ユローパ島フアン・デ・ノヴァ島グロリオソ諸島 フランス(フランス領南方・南極地域 フランス・マダガスカル