ja.wikipedia.org

マリア・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ - Wikipedia

  • ️Wed Mar 07 1517

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マリア・デ・アラゴン
Maria de Aragão
ポルトガル王妃
在位 1500年 - 1517年

出生 1482年6月29日
カスティーリャ王国
コルドバ
死去 1517年3月7日(34歳没)
ポルトガル王国
リスボン
埋葬 ポルトガル王国
ジェロニモス修道院
結婚 1500年10月30日
アルカセル・ド・サル
配偶者 マヌエル1世
子女 一覧参照
家名 トラスタマラ家
父親 アラゴン王フェルナンド2世
母親 カスティーリャ女王イサベル1世
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示

マリア・デ・アラゴン・イ・カスティーリャMaría de Aragón y Castilla)またはマリア・デ・トラスタマラMaría de Trastámara:いずれもスペイン語名、1482年6月29日 - 1517年3月7日)は、ポルトガルマヌエル1世の2度目の王妃。

アラゴンフェルナンド2世カスティーリャ女王イサベル1世の三女(第4子)として生まれた。マヌエルの先妻はマリアの長姉イサベルであったが、1498年に死別し、1500年にマリアと再婚した。マリアは10子を生んだが、王に先だって1517年に病死した。

翌1518年、マヌエルはイサベルおよびマリアの姪レオノール(マリアの次姉フアナ女王の娘)と3度目の結婚をした。

マリア 父:
フェルナンド2世 (アラゴン王)
(カスティーリャ王フェルナンド5世)
祖父:
フアン2世 (アラゴン王)
曽祖父:
フェルナンド1世
曽祖母:
レオノール・デ・アルブルケルケ
祖母:
フアナ・エンリケス
曽祖父:
ファドリケ・エンリケス[1]
曽祖母:
マリアナ・デ・コルドバ
母:
イサベル1世 (カスティーリャ女王)
祖父:
フアン2世 (カスティーリャ王)
曽祖父:
エンリケ3世 (カスティーリャ王)[2]
曽祖母:
カタリナ[3]
祖母:
イサベル
曽祖父:
ジョアン(アヴェイロ公)[4]
曽祖母:
イザベル・デ・バルセロス[5]
  • 姉:フアナ - カスティーリャ女王となるが、精神疾患のため幽閉される。
  • 妹:カタリナ - イングランド王ヘンリー8世妃(英語名:キャサリン)。
[1]はカスティーリャ王エンリケ2世の弟ファドリケの子孫。
[3]はランカスター公ジョン・オブ・ゴーントと、カスティーリャ王ペドロ1世の次女コンスタンサの一人娘。よって[2][3]の結婚は、第一次カスティーリャ継承戦争の末にペドロ1世を破って王位についたエンリケ2世(トラスタマラ朝の祖)とペドロ1世の血統が合一・和解するという歴史的意義がある。
[4]はポルトガル王ジョアン1世の王子で、兄にドゥアルテ1世エンリケ航海王子がいる。また[4]たちの母フィリッパは、[3]の異母姉である。
[5]はポルトガル王ジョアン1世の庶子ブラガンサ公アフォンソ1世の娘。よって[4]と[5]の結婚は叔姪婚となる。