ルーシ県 - Wikipedia
ルーシ県
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ルーシ県
Руське воєводство(ウクライナ語)
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(国旗) (県章) ポーランド・リトアニア共和国におけるルーシ県(1635年)。
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公用語 ルーシ語、ポーランド語、ラテン語 首都 リヴィウ
Województwo ruskie(ポーランド語)
Palatinatus Russiae(ラテン語)
ルーシ県(ウクライナ語: Руське воєводство, ポーランド語: Województwo ruskie, ラテン語: Palatinatus Russiae)は、1434年から1791年にかけて存在したポーランド王国の地方行政単位である。ポーランド・リトアニア共和国の県(ヴォイェヴォツトフォ)の一つ。小ポーランド州(ポーランド語版)に属す。リヴィウを中心としたハルィチ地方とポジーリャ地方の西部を含んでいた。ルテニア県とも。
1349年にルーシ系の国の一つ、ハールィチ・ヴォルィーニ王国(ルーシ王国)のボレスワフ・ユーリー2世王がなくなると、その王国の継承をめぐって隣国のリトアニア大公国とポーランド王国はハールィチ・ヴォルィーニ戦争を開始した。その結果、リトアニアは北のヴォルィーニ地方を、ポーランドは南のハールィチ地方を手に入れた。1434年にポーランド国王ヴワディスワフ2世はハールィチ地方にルーシ県を設し、自らがルーシの君主であると主張した。ハールィチ地方で最大の都市リヴィウは県庁と県知事(ヴォイェヴォダ)の所在地となり、県裁判はスドーヴァ・ヴィーシュニャに置かれた。
ルーシ県の人口の過半数はルーシ人であった。彼らは農村部を中心に暮らしていたが、都市や町などでポーランド人、ユダヤ人、アルメニア人、ドイツ人などの民族と共に住んでいた。1677年の時点で、ルーシ県内には3000以上の村と100以上の町が存在した。
1772年にポーランド・リトアニア共和国の分割に伴い、ルーシ県はオーストリア帝国に併合された。県域はガリツィア・ロドメリア王国に再編成された。ホルム郡はロシア帝国の領土となった。
現在、旧ルーシ県域はウクライナのリヴィウ州、テルノーピリ州、イヴァノ=フランキウシク州、ベラルーシのブレスト州、ポーランドのポトカルパチェ県に当たる。
タンネンベルクの戦い (1410年)における諸州の騎士の軍旗。
- 県庁:リヴィウ
- 県裁判:スドーヴァ・ヴィシュニャ
- (日本語)伊東孝之; 井内敏夫; 中井和夫『ポーランド・ウクライナ・バルト史』山川出版社〈新版世界各国史 20〉、1998年12月。
- (ポーランド語) Słownik geograficzny Królestwa Polskiego i innych krajów słowiańskich, Warszawa : nakł. Filipa Sulimierskiego i Władysława Walewskiego, 1880-1914