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久邇宮 - Wikipedia

  • ️Tue Jun 19 2018

久邇宮

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久邇宮家
家紋
家祖 久邇宮朝彦親王
伏見宮邦家親王の第4王子)
種別 皇族宮家
出身地 京都山城国
主な根拠地 東京府東京市麻布区麻布鳥居坂町
(現・東京都港区六本木
東京府豊多摩郡渋谷町宮代
(現:東京都渋谷区広尾
著名な人物 朝彦親王
邦彦王
朝融王
良子女王(香淳皇后)
支流、分家 賀陽宮
朝香宮
東久邇宮
久邇家侯爵
東伏見家伯爵
宇治家(伯爵)
龍田家(伯爵)
凡例 / Category:日本の氏族
1920年(大正9年)頃、久邇宮邦彦王一家。

久邇宮(くにのみや)は、日本皇室における宮家の一つ。

1875年明治8年)、伏見宮邦家親王の第四王子・朝彦親王を初代として創設された。その前に、朝彦親王の旧宮号は中川宮と賀陽宮。

宮号の由来は、恭仁京にちなんだといわれている(伏見宮の当主が1代おきに「邦」の1字を偏諱としていたことによるという説もある)。

1947年(昭和22年)10月14日、3代・朝融王の代で皇籍離脱。現在の旧宮家の祭祀継承者は、朝融王の長男に当たる4代・邦昭

香淳皇后昭和天皇后)の実家であり、上皇明仁およびその直系子孫は久邇宮家の血筋を引いている。そのため、昨今の皇位継承者不足による皇位継承問題では皇籍復帰の有力候補として注目を集めている。

江戸時代
京都御苑内に“賀陽宮家旧地”として案内板がある。賀陽宮邸は女院御所跡の一部に設けられた。1882年(明治15年)に大内保存事業のため上地。
近代以降
1892年(明治25年)に東京都麻布区にあった井上馨邸に転居。
1899年(明治32年)に京都市上京区河原町に別邸を建てる。
1919年(大正8年)に広尾に建てた久邇宮邸の建築の一部は、大映に売却された後、現在は聖心女子大学キャンパスとなっており、旧久邇宮邸の御常御殿・小食堂(通称パレス)や車寄(通称クニハウス)ほかが現存し、国の重要文化財に指定されている[7][8]
  1. ^ グランビュー勤務。夫人は西村俊一(元サクラクレパス社長)の長女・櫻子[1]
  2. ^ 日立製作所勤務。夫人は宮澤吉弘の長女・澄子[1]
  3. ^ 1961年8月16日生[2]。独身[3]
  4. ^ 1971年生[4]
  5. ^ 近衞忠大夫人。
  6. ^ 1978年頃生。夫を婿養子に迎える[5]
  7. ^ 1982年頃生[5]
  8. ^ 2018年11月時点で小学校未入学で[5]、2022年時点で小学生とある上朝宏の二番目の兄の孫とあるので[6]、2015年頃に朝俊の子として生まれたと比定できる。
  9. ^ 2015年頃生[注釈 8]
  10. ^ 2011年頃生。非男系[5]
  11. ^ 非男系[5]
  12. ^ 非男系[5]
  • 浅見雅男『闘う皇族 ある宮家の三代』(角川選書、2005年)。新版・角川文庫、2013年。ISBN 404100845X
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上』吉川弘文館、1996年。ISBN 978-4642036702
  • 「「圭くん」に代わる「眞子さま」のお相手も? 女性皇族「お相手候補リスト」にある名前」『週刊新潮』、新潮社、2018年11月8日。
  • 上山和雄・内山京子・中澤惠編『久邇宮家関係書簡集 近代皇族と家令の世界』(吉川弘文館、2024年)ISBN 9784642015868

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