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佐藤誠 (野球) - Wikipedia

  • ️Thu Jun 12 1975

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佐藤 誠
ジャイアンツ U15ジュニアユース コーチ

ソフトバンク時代

基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山形県東根市北海道千歳市
生年月日 1975年6月12日(49歳)
身長
体重
182 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 ドラフト5位
初出場 1997年10月8日
最終出場 2009年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴

コーチ歴

この表について

佐藤 誠(さとう まこと、1975年6月12日 - )は、山形県東根市出身の元プロ野球選手投手)、指導者。右投右打。2001年から2002年登録名

北海道千歳市の小学生時代に学童軟式野球を始める。

駒大岩見沢高等学校では、1992年1993年の2度、センバツに出場[1]。1993年はチームをベスト4に導いたが、夏は南北海道大会2回戦で敗退した[1]。その年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団した[1]背番号69

1997年に一軍初登板を果たしたがこの年を含め2000年までわずか5試合しか出番を得られなかった。だが、この時期に覚えたシュートが、後に活躍のきっかけとなる。

2000年は2試合の登板に終わり、オフに無償トレードで福岡ダイエーホークスに移籍[1]。登録名は「」。背番号は63

2001年は8試合の登板に終わった。

2002年も登板7試合に終わったが防御率は1点台を記録した。オフシーズンに登録名を本名に戻す。

2003年は巨人時代に覚えたシュートを駆使し、篠原貴行岡本克道に続く右のセットアッパーとして31試合に登板。防御率2.98を記録し3年ぶりのリーグ優勝に貢献した。日本シリーズにも出場し2/3回を無得点に抑える活躍で4年ぶりの日本一に貢献した。以降ホークス中継ぎ投手陣の一角に定着。

2004年は自己最多の40試合に登板。安定感抜群とまではいかなかったがチームの勝率1位に貢献した。

2005年は安定感を欠き二軍降格を味わい27試合の登板に終わった。

2006年前半は神内靖新垣渚ら先発陣がアクシデントで途中降板した際、試合の収拾をやってのけ、「ミスター・スクランブル」、「スクランブルの男」と取り上げられる。6月7日の巨人との交流戦、先発投手神内が乱調のため1回表14球3失点で1アウトも取らぬまま降板となり、佐藤が緊急登板。4イニングを投げ無失点に抑え勝利投手となり、プロ野球人生初のお立ち台に上がった。ヒーローインタビューでは「最近はこういう(急な)ことが多いので、緊張もせずに普通に投げられました」と語った。しかし、右肘痛のため夏場に離脱してしまいそのままシーズンを終えた。17試合で3勝無敗で防御率は2点台を記録した。

2007年は開幕二軍ではあったが、藤岡好明らの不調もあり、4月中旬一軍に上がると、抜群の制球力とシュートを武器に一時はリリーフエースとなっていた。しかし、連投による疲労からか徐々に調子を崩し、5月まで1点を下回る投球を見せたが徐々に打ち込まれ防御率が悪化してしまい8月11日の対オリックス戦で2失点を喫し二軍落ちとなった。最終成績は27試合に登板して9ホールドをマークしたが防御率は4点台と不本意だった。

2008年も不調で22試合の登板に留まり防御率5点台と役割を果たせなかった。

2009年は25試合に登板したが防御率6点台と前年よりも不調に陥った。

2010年は前年台頭した摂津正ブライアン・ファルケンボーグらの強力中継ぎ陣に加え甲藤啓介金澤健人の台頭もあり一軍登板なしに終わった。10月1日に戦力外通告を受けて現役を引退。

2011年から古巣の巨人で打撃投手となり、2015年からは打撃投手兼監督付マネージャーとなる[2]。2019年限りで退団。2022年からは巨人の運営部主任兼監督担当マネジャーに就任。2024年からジャイアンツ U15ジュニアユースの指導者に就任 (担当:投手)[3]



























W
H
I
P
1997 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 2 1.0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 0.00
1998 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 2.0 3 0 1 0 0 3 0 0 3 3 13.50 2.00
2000 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 13 1.2 5 0 3 0 0 1 0 0 7 7 37.80 4.80
2001 ダイエー
ソフトバンク
8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 57 13.1 15 3 6 1 0 5 1 0 10 8 5.40 1.58
2002 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 23 6.1 4 0 2 0 0 2 0 0 1 1 1.42 0.95
2003 31 0 0 0 0 3 3 0 -- .500 190 45.1 45 4 18 5 3 32 0 0 15 15 2.98 1.39
2004 40 0 0 0 0 2 1 0 -- .667 188 43.1 50 5 14 2 3 19 1 0 20 18 3.74 1.48
2005 27 0 0 0 0 2 0 1 4 1.000 116 26.0 32 1 9 0 2 13 2 0 10 10 3.46 1.58
2006 17 0 0 0 0 3 0 0 1 1.000 126 31.0 32 2 7 0 2 27 1 0 8 8 2.32 1.26
2007 27 0 0 0 0 2 1 0 9 .667 123 28.2 23 3 14 0 4 20 0 0 13 13 4.08 1.29
2008 22 0 0 0 0 3 2 0 2 .600 73 17.1 22 1 1 0 0 9 0 0 11 10 5.19 1.33
2009 25 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 110 23.1 35 5 8 0 0 14 1 0 18 17 6.56 1.84
通算:12年 209 0 0 0 0 16 8 1 18 .667 1031 239.1 266 24 83 8 14 145 6 0 116 110 4.14 1.46
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
  • 69(1994年 - 1997年)
  • 57(1998年 - 2000年)
  • 63(2001年 - 2003年)
  • 31(2004年 - 2010年)
  • 208(2011年 - 2015年)
  • 佐藤 誠(さとう まこと、1994年 - 1996年、2003年 - 2010年)
  • 佐藤 充(さとう まこと、1997年 - 2000年)
  • (まこと、2001年 - 2002年)
  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、256ページ
  2. ^ 19年目・鈴木だけじゃない 巨人・原監督の「右腕」も球宴初出場 - スポーツニッポン、2015年7月3日配信
  3. ^ U15ジュニアユース チーム概要・活動/指導者・スタッフ紹介”. 読売巨人軍. 2025年1月25日閲覧。