千浜村 - Wikipedia
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ちはまむら 千浜村 | |
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![]() 国安海岸の鳥居と初日の出 | |
廃止日 | 1956年8月1日 |
廃止理由 |
新設合併 大坂村、千浜村 → 大浜町 |
現在の自治体 | 掛川市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
![]() |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 静岡県 |
郡 | 小笠郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,173人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 浜岡町、小笠町、中村、大坂村 |
千浜村役場 | |
所在地 | 静岡県小笠郡千浜村 |
座標 | 北緯34度39分41.7秒 東経138度4分52.7秒 / 北緯34.661583度 東経138.081306度座標: 北緯34度39分41.7秒 東経138度4分52.7秒 / 北緯34.661583度 東経138.081306度 |
![]() 小笠地域の町村制施行時の町村。34が千浜村。(31.大坂村 32.三浜村→大坂村 33.三俣村→大坂村) | |
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千浜村(ちはまむら、英語: Chihama Village)は、日本にかつて存在した村である。静岡県小笠郡に属した。
明治政府が推進した明治の大合併にともない、1889年(明治22年)に静岡県城東郡にて千浜村、坂里村、国安村、国包村、久兵衛新田、喜右衛門新田が合併し、新制千浜村が設置された。また、城東郡が佐野郡と合併して小笠郡が新設され、千浜村も小笠郡に属することになった。発足以来、村の領域に変化はなかったが、太平洋戦争後の昭和の大合併にともない、1956年(昭和31年)に千浜村は小笠郡大坂村と合併し、大浜町が新設された。
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ef/Nanen_Sand_Dunes_cropped_1_GSI_CCB20091X-C15-6_20090804.jpg/200px-Nanen_Sand_Dunes_cropped_1_GSI_CCB20091X-C15-6_20090804.jpg)
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行にともない、静岡県城東郡の千浜村、坂里村、国安村、国包村、久兵衛新田、喜右衛門新田が合併し、千浜村が発足した。1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により小笠郡に所属することとなった。1956年(昭和31年)8月1日、静岡県小笠郡の大坂村と合併し、大浜町となり消滅した。
- 1889年 - 千浜村、坂里村、国安村、国包村、久兵衛新田、喜右衛門新田が合併して千浜村(新制)を新設。
- 1896年 - 佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を新設。
- 1956年 - 千浜村、大坂村が合併して大浜町を新設。
新制の千浜村発足時点では、千浜村立千浜尋常小学校が設置されていた[1]。この尋常小学校は、大坂小学校の分校として設置された来福学校を源流としている[1]。同尋常小学校は1941年(昭和16年)に千浜村国民学校に改組された[1]。その後、千浜村立千浜小学校となり[1]、大坂村との合併に際して大浜町立千浜小学校に改組されている[1]。
- 千浜村立千浜小学校[1]
1949年(昭和24年)に発行された『全國市町村便攬』6版によれば、村内の大字は以下の通りである[2]。
静岡鉄道の中遠線が敷設されていたが、のちに藤相線と結合されて日本最長の軽便鉄道となり、駿遠線と改称された。村域には西千浜駅と千浜駅が設置されていた。さらに臨時駅として国安海岸駅も設置された。しかし、旧村域における路線は1964年(昭和39年)に廃止されている。
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。