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堀河康親
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堀河 康親 | |
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時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 寛政9年2月20日(1797年3月18日) |
死没 | 安政6年9月3日(1859年9月28日) |
改名 | 親孝(初名)→康親 |
官位 | 従二位、権中納言 |
主君 | 光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇 |
氏族 | 萩原家→堀河家 |
父母 | 父:萩原員幹、養父:堀河親実 |
兄弟 |
萩原員維、康親 養兄弟:萩原従言 |
妻 | 正室:勧修寺吉子(勧修寺経逸の娘) |
子 | 親賀、富子、岩倉具視、藤大路納親、桜井供親、康隆、紀子 |
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堀河 康親(ほりかわ やすちか)は、江戸時代後期の公卿。刑部卿萩原員幹の子。参議堀河親実の養子。官位は従二位権中納言。主に仁孝天皇(120代)と孝明天皇(121代)の二代にわたり仕えた。岩倉使節団の団長、岩倉具視の実父。
文化7年(1810年)に元服と共に叙爵。始め親孝と名乗ったが、文政2年(1820年)に康親と改名した。文政5年(1823年)仁孝天皇の侍従となり、天保4年(1833年)に従三位に昇進して公卿に列する。安政2年(1855年)に参議となったが、翌年辞し、踏歌節会外弁となる。
安政5年(1858年)の安政の大獄の際に八十八卿として子の親賀、康隆(親賀の養子)と共に連座した。翌年権中納言となるが病のため職を辞し、まもなく病で薨去した。