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大塚山古墳 (野洲市) - Wikipedia

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大塚山古墳

墳丘(中央に主丘部、左に前方部)
所属 大岩山古墳群
所在地 滋賀県野洲市辻町(字大塚山)
位置 北緯35度4分38.60秒 東経136度2分30.65秒 / 北緯35.0773889度 東経136.0418472度座標: 北緯35度4分38.60秒 東経136度2分30.65秒 / 北緯35.0773889度 東経136.0418472度
形状 帆立貝形古墳
規模 直径57m(主丘部)
高さ7.3m
埋葬施設 不明
出土品 滑石製模造品・短甲・ガラス玉・須恵器埴輪・盾形木製品
築造時期 5世紀前半(または5世紀中葉)
史跡 国の史跡「大岩山古墳群」に包含
地図

大塚山古墳の位置(滋賀県内)

大塚山古墳

大塚山古墳

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大塚山古墳(おおつかやまこふん)は、滋賀県野洲市辻町にある古墳。形状は帆立貝形古墳大岩山古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。

滋賀県南部、野洲川右岸の旧家棟川扇状地に築造された古墳である。近年に史跡整備に伴う発掘調査が実施されている[1]

墳形は前方部(方形部)が短小な帆立貝形の前方後円形で、前方部を北西方向に向ける。墳丘の段築は2段以上で、大部分は盛土による[2]。主丘部は直径約57メートル・高さ7.3メートルを測る[1]。前方部は長さ8.5メートルを測るが、くさび状の食い込みによって2:1に分割され、東西に幅22メートル(西側)・11メートル(東側)の2つが並び造り出された特異な形態になる[3][2]。墳丘外表では葺石のほか、円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(鶏形・船形・水鳥形・家形・蓋形埴輪、東側造出周辺出土)・盾形木製品が検出されている[2]。また墳丘周囲には幅13-20メートルの周濠が巡らされるほか、その外側にも外堤と幅3メートル以上の溝が巡らされており、周濠・外堤・溝を含めた全長は105メートルにおよぶ[2]。埋葬施設は明らかでないが、副葬品として滑石製模造品・短甲・ガラス玉・須恵器などが検出されている[2]。築造時期は古墳時代中期の5世紀前半[1][2](または5世紀中葉)[4]頃と推定される。

古墳域は1985年昭和60年)に国の史跡に指定されている(史跡「大岩山古墳群」のうち)[5]

  • 主丘部墳頂

    主丘部墳頂

  • 前方部正面 前方部は中央左で2つに分断される。

    前方部正面
    前方部は中央左で2つに分断される。

  • 野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)(野洲市辻町)

(記事執筆に使用した文献)

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『史跡大岩山古墳群 大塚山古墳調査整備報告書 -野洲市辻町字六ノ坪所在-』野洲市教育委員会、2006年。