ja.wikipedia.org

大塚翔平 - Wikipedia

  • ️Wed Apr 11 1990
大塚 翔平
名前
愛称 ショウヘイ、ニコラス
カタカナ オオツカ ショウヘイ
ラテン文字 OTSUKA Shohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1990年4月11日(34歳)
出身地 大阪府大阪市
身長 177cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
2003-2008 日本の旗 ガンバ大阪
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2012 日本の旗 ガンバ大阪 6 (1)
2012-2014 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 57 (6)
2015 日本の旗 ギラヴァンツ北九州 16 (1)
2016-2017 日本の旗 川崎フロンターレ 15 (2)
2018 日本の旗 SC相模原 10 (1)
通算 104 (11)
代表歴
2007  日本U-17 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大塚 翔平(おおつか しょうへい、1990年4月11日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロサッカー選手ポジションフォワード(FW)

来歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

1997年に大阪東淀川フットボールクラブに入団。2002年にはナショナルトレセンU-12関西に選出された[1]

2003年にガンバ大阪ジュニアユースに入団、在籍中、中学2年次の2004年にクラブユースサッカー選手権 (U-15)で準優勝を経験した[2] 他、2005年にJFAナショナルトレセンU-14に選出された[3]。翌2005年よりU-15日本代表候補に選出されるようになり、同年12月に正式な代表チームに選出され、アメリカ遠征に参加した[4]

2006年にユースチームに昇格。フォワードとしてプレーした他、サイドハーフとしてもプレーした。

所属クラブでは2006、2007年にクラブユースサッカー選手権 (U-18)で2連覇を経験した[5] 他、2008年Jリーグユースカップで優勝を経験した[6]

2006年8月にはU-17日本代表チームに選出されてAFC U-17選手権2006に出場し[7] 優勝を経験した。翌年開催されたU-17ワールドカップに出場するU-17日本代表チームにも選出され[8]、グループリーグの3試合に出場した。

ガンバ大阪

[編集]

2008年11月に菅沼駿哉宇佐美貴史とともにトップチームへの昇格が発表され[9]、翌2009年に正式に入団した。同年にはU-20日本代表に選出され、カタール国際ユーストーナメントに出場した。クラブでは3月14日のJ1第2節ジュビロ磐田戦でJリーグ初出場を果たすも、この年のリーグ戦出場はこの1試合に終わる。

2010年10月9日、天皇杯3回戦の栃木SC戦では、決勝点となる公式戦初得点を決め、チームの逆転勝利に貢献。2011年8月24日、この年最初のリーグ戦出場となったJ1第23節柏レイソル戦でJリーグ初得点を挙げた。しかし、この年のリーグ戦出場はこの1試合に留まった。

ジェフ千葉

[編集]

2012年3月24日、ジェフユナイテッド市原・千葉へ期限付き移籍。背番号はプロ1年目と同じ32を背負う事になった。2013年より、完全移籍。

ギラヴァンツ北九州

[編集]

2015年ギラヴァンツ北九州へ完全移籍。15年シーズン16試合出場の1得点の成績を上げたが同年シーズン終了後、契約満了につき放出された[10]

川崎フロンターレ

[編集]

北九州を退団後にトライアウトに参加。そこでのプレーがスカウトの目に留まり、クラブの練習試合に参加した試合でアシストを連発した。その影響もあり2015年12月24日、川崎フロンターレに完全移籍することが発表された[11]。1st・16節アビスパ福岡戦では負傷した中村憲剛の代役として自身6年ぶりのJ1スタメン出場する[12] と、続く1st・17節大宮アルディージャ戦では移籍後初ゴールを挙げるなど、シーズン中盤に活躍した。2017年を持って契約満了に伴い退団。

SC相模原

[編集]

2018年2月、SC相模原への加入が発表され[13] 12月7日に契約満了となった[14]

それ以降は引退の発表はしていないが、所属クラブが決まってない状態である。たまにガンバ大阪のゲストコーチとしてイベントに参加している。

2020年1月31日 古巣G大阪のジュニアコーチに就任することが発表された。

人物・エピソード

[編集]

  • 基本技術の高さから中盤に下がってボールを受け、チャンスメイクするプレーを好んでいたためにユース監督(当時)の松波正信は「FWは点を取ってナンボ」とシュート練習を増やすなどして、ストライカーとしての資質を伸ばすことを心がけた[15]

所属クラブ

[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2009 G大阪 32 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2010 4 0 0 0 1 1 5 1
2011 16 1 1 1 1 1 0 3 2
2012 0 0 - - 0 0
千葉 32 J2 15 1 - 2 1 17 2
2013 14 23 3 - 1 0 24 3
2014 19 2 - 1 0 20 2
2015 北九州 28 16 1 - 0 0 16 1
2016 川崎 27 J1 12 2 2 2 1 0 15 4
2017 3 0 0 0 1 0 4 0
2018 相模原 37 J3 10 1 - - 10 1
通算 日本 J1 21 3 3 3 4 1 28 7
日本 J2 73 7 - 4 1 77 8
日本 J3 10 1 - - 10 1
総通算 104 11 3 3 8 2 115 16

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2009 G大阪 32 1 0 -
2010 3 0 -
2011 16 0 0 -
2012 0 0 -
2017 川崎 27 1 0 -
通算 AFC 5 0 0 0

タイトル

[編集]

クラブ

[編集]

ガンバ大阪ユース
ガンバ大阪
川崎フロンターレ

代表

[編集]

U-17日本代表
U-21日本代表

代表歴

[編集]

出場大会

[編集]

脚注

[編集]

  1. ^ 2002年度 ナショナルトレセンU-12 選出メンバーならびにスケジュールについて 大阪東淀川フットボールクラブ公式サイト (データ元: JFA公式サイト 2002.12.19付ニュースリリース)
  2. ^ adidas cup 日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会 過去の大会結果 日本クラブユースサッカー連盟公式サイト 2010.11.17 07:55 (UTC) 閲覧
  3. ^ 2004 ナショナルトレセンU-14[東日本]メンバー JFA公式サイト 2005.3.18日付ニュースリリース
  4. ^ U-15日本代表チーム米国遠征(ディズニーアディダスカップ 12/26~1/1)メンバー JFA公式サイト 2005.12.20付ニュースリリース
  5. ^ 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会 過去の大会結果 日本クラブユースサッカー連盟公式サイト 2010.11.17 08:01 (UTC) 閲覧
  6. ^ 2008 Jリーグユースカップ 2008年 試合記録 決勝トーナメント表 Jリーグ公式サイト 2010.11.17 08:10 (UTC) 閲覧[リンク切れ]
  7. ^ U-16日本代表 AFC U-17選手権シンガポール2006 メンバー JFA公式サイト 2006.8.21付ニュースリリース
  8. ^ 【FIFA U-17ワールドカップ 韓国2007】U-17日本代表チームメンバー・スケジュール JFA公式サイト 2007.8.6付ニュースリリース
  9. ^ ガンバ大阪ユースより菅沼・宇佐美・大塚の3選手が2009年トップ昇格仮契約終了 ガンバ大阪公式サイト 2008.11.16付ニュースリリース
  10. ^ 契約満了選手のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州. 2015年11月24日閲覧。
  11. ^ 大塚翔平選手加入のお知らせ - 川崎フロンターレオフィシャルサイト(2015年12月24日閲覧)
  12. ^ 小田智史 (2016年6月20日). “【川崎】“苦労人”大塚翔平が大一番で感じた楽しさと課題”. サッカーダイジェスト. 2016年11月25日閲覧。
  13. ^ 大塚翔平選手 完全移籍新加入のお知らせ - SC相模原オフィシャルサイト(2018年2月22日閲覧)
  14. ^ 大塚翔平選手 契約満了のあお知らせ - SC相模原オフィシャルサイト(2019年3月10日閲覧)
  15. ^ スペシャルコラム:副島博志と松波正信。山口螢と大塚翔平。ベテラン監督とルーキー監督、双方の苦悩と努力が生み出した2人のエースの成長(前編)(08.12.26) J's GOAL

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

日本代表 - 出場大会