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大宮家 (閑院流) - Wikipedia

大宮家
(藤原北家閑院流)
家紋

左三つ巴(ひだりみつともえ)

本姓 藤原北家閑院流西園寺庶流
家祖 大宮季衡
種別 公家羽林家
華族子爵
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
凡例 / Category:日本の氏族

大宮家(おおみやけ)は、藤原北家閑院流西園寺庶流にあたる公家華族。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は子爵[1]

歴史

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西園寺公衡の子季衡を祖とする。季衡は光厳天皇外叔父(生母は同母妹の西園寺寧子)として従一位右大臣にまで昇り、異母弟にあたる実衡の官位・官職を越した。しかし、その後氏衡公名が相次いで出家または早世し、公名の子、実尚貞治5年(1366年)に23歳で権大納言に昇る(当時従二位。後正二位)も、大臣への昇進は実現しなかった。嗣子を残さないまま薨去したので一時断絶したが、実衡の直系子孫である季光が再興した。江戸時代の家禄は130石[注釈 1]

明治維新後の明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると大宮家も公家として華族に列した[2][3]。明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同8日に大納言直任の例がない旧堂上家[注釈 2]として以季子爵を授けられた[5]

以季は貴族院の子爵議員に4回当選して務めた[6]

歴代当主

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系譜

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実線は実子、点線(縦)は養子。
西園寺公衡
実衡大宮季衡1
氏衡公名2
実持実尚3
(再興)
季光4[7]
季勝5実勝6[8]
公央7
昌季8実堅
貞季9[9]
盛季10
良季11[10]篤実俊季
篤実政季12[11]公良
暉季公典13俊季
以季14[12]
公孝15[13]浩季
司季16惇季
秀人17[14]

系譜参考

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脚注

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注釈

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  1. ^ 国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』によると、幕末期の大宮家領は山城国相楽郡千童子村のうち130石であった。
  2. ^ 中納言からそのまま大納言になることを直任といい、中納言を一度辞してから大納言になるより格上の扱いと見なされていた。叙爵内規は歴代当主の中にこの大納言直任の例があるか否かで平堂上家を伯爵家か子爵家かに分けていた[4]

出典

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  1. ^ 小田部雄次 2006, p. 329.
  2. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  3. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  4. ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
  5. ^ 小田部雄次 2006, p. 330.
  6. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 376.
  7. ^ 西園寺公益の次男。
  8. ^ 姉小路公景の子。
  9. ^ 西園寺致季の子。
  10. ^ 日野資矩の次男。
  11. ^ 清閑寺昶定の子。
  12. ^ 小倉輔季の子。
  13. ^ 小倉英季の子。
  14. ^ 竝河秀行の子。

参考文献

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関連項目

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摂関家
清華家
大臣家
羽林家
名家
半家