大祖国戦争 - Wikipedia
大祖国戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大祖国戦争(だいそこくせんそう、ロシア語: Великая Отечественная войнаは、ロシアをはじめとする旧ソビエト連邦諸国のいくつかで使われる用語。第二次世界大戦のうち、ソビエト連邦がナチス・ドイツおよびその同盟国と戦った1941年6月22日から1945年5月9日までの戦いを指す。旧ソ連諸国の外では、この用語は一般的に使われることはなく、東部戦線(Eastern Front)、独ソ戦などの用語が使われている。この戦闘の詳細については「独ソ戦」を参照のこと。
「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」とでは指す範囲が異なっている。「大祖国戦争」は、ドイツをはじめとするヨーロッパの枢軸国諸国軍とソビエト連邦との間の戦いであり、ソビエト連邦と日本との戦い(満洲侵攻)や、ドイツと西欧・英米諸国との戦い(西部戦線)は含まれない。
「大祖国戦争」という用語は、1941年6月22日のドイツの対ソ攻撃(バルバロッサ作戦)開始の直後に登場した。1812年にロシア帝国へ侵攻したフランス帝国のナポレオン1世をロシアが打ち破った戦いは、ロシアでは「祖国戦争」と称される。「祖国戦争」はもとは外征とは異なる自国内での防衛の戦いを指し、やがて「祖国での戦い」から「祖国のための戦い」へも適用されるようになった。第一次世界大戦でも「祖国戦争」という呼び方が使われていた[1]。ソ連当局はこれをなぞらえた呼称でナチス・ドイツとの戦争を呼ぶことで、戦いにあたってロシア・ナショナリズムによって国民を鼓舞しようとした。ドイツ軍の侵攻直後の「プラウダ」紙には、「ソビエト人民の大祖国戦争」(Великая отечественная война советского народа)と題された長い記事が掲載されている[1]。1942年5月20日には、大祖国戦争において英雄的な行為を見せた兵士やパルチザンらに対して贈られる「祖国戦争勲章」(Орден Отечественной войны, Order of the Patriotic War)が制定された。
ソ連時代の辞書学においては、「大祖国戦争」とはソビエトの共産主義とドイツのナチズム(ファシズム)という二つのイデオロギーの間の闘争であり、最終的にソビエトの共産主義システムがファシズムに打ち勝ってその優位性を示したとされる[2]。
-
1941年-1945年大祖国戦争における対ドイツ戦勝記章。ロシア帝国・ロシア連邦時代の聖ゲオルギー勲章と同じ、黒とオレンジの縞のリボン(聖ゲオルギーのリボン)を用いている。このリボンは21世紀に入ってから大祖国戦争における勝利のシンボルとしてアウェアネス・リボンなどに使用され、ロシアの愛国心の象徴となった。
- ^ a b The dictionary of modern citations and catch phrases, by Konstantin Dushenko, 2006. (ロシア語)
- ^ “Genocide's Ghosts”, TIME Magazine, January 16, 2008.
-
独ソ戦
-
- バルバロッサ作戦
- ミンスク
- ウーマニ
- スモレンスクI
- キエフ I
- オデッサ
- 黒海
- レニングラード
- ハリコフ I
- クリミア I
- モスクワ
- ロストフ
- デミャンスク
- ハリコフ II
- ブラウ作戦
- スターリングラード
- フーベルトゥス作戦
- ウラヌス作戦
- 冬の嵐作戦
- ルジェフ II
- イスクラ作戦
- ハリコフ III
- クルスク
- プロホロフカ
- スモレンスク II
- ドニエプル川
- ナルヴァ
- コルスン
- カメネツ=ポドリスキー
- バグラチオン作戦
- クールラント
- クリミア II
- ワルシャワ蜂起
- リヴォフ=サンドミール
- バルト海
- ヤッシー・キシナウ
- ヴィスワ・オーデル
- ブダペスト
- オーバーシュレージエン
- 東プロイセン
- ケーニヒスベルク
- 春の目覚め作戦
- ウィーン
- ベルリン
- プラハ