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太田勝 - Wikipedia

  • ️Mon Aug 01 1938

太田勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

太田 勝
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県
生年月日 1938年8月1日(86歳)
没年月日 不明
身長
体重
173 cm
64 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1961年
初出場 1961年
最終出場 1961年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

この表について

太田 勝(おおた まさる、1938年8月1日 - 1964年以降の消息不明[1])は、愛知県[1]出身のプロ野球選手内野手)。左投左打。

豊川高校では2年生の時、1955年秋季中部地区大会に進むが、準決勝で小池兼司のいた浜松商に延長15回サヨナラ負け。翌1956年夏も県予選準々決勝で時習館高に敗れ、甲子園出場はならなかった。

卒業後は中央大学へ進学し、1年生からレギュラーとなる。東都大学リーグでは1958年春季リーグで小栗秀夫、若生照元両投手を擁し5年ぶりに優勝を飾った。同年秋季リーグでベストナイン(一塁手)に選出される。しかしチームは部員の不祥事により1959年春季リーグ出場停止、同年秋季リーグから二部に降格された。大学の2年上に桑田武森田斌、1年上に小栗、若生の他、西山弘二広島)、本田威志がいた。

1961年大洋ホエールズへ入団[1]。即戦力として期待されたが、出番はあまりなかった。

1962年中日ドラゴンズへ移籍。1963年引退。翌年以降の消息は不明。















O
P
S
1961 大洋 4 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:1年 4 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
  • 6 (1961年)
  • 54 (1962年 - 1963年)
  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、105ページ