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実行教 - Wikipedia

實行教(じっこうきょう)

実行教本部

地図
設立 1878年(明治11年)
設立者 柴田花守
種類 宗教法人
本部 埼玉県さいたま市北区盆栽町377
座標 北緯35度55分33.1秒 東経139度37分39.1秒 / 北緯35.925861度 東経139.627528度座標: 北緯35度55分33.1秒 東経139度37分39.1秒 / 北緯35.925861度 東経139.627528度
道主 柴田尋之
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實行教(じっこうきょう)は、富士信仰富士講のひとつである不二道に起源をもつ教派神道の一派である。包括宗教法人としての名称は旧字体の「實行教」だが、被包括宗教法人には新字体の「実行教」で登記されているところも多い。

概要

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不二道の第十世であった柴田花守(咲行)が1878年(明治11年)に「実行社」を組織し、1882年(明治15年)に教派神道の一派として独立し「実行教」となる[1]

扶桑教と同じく開祖を長谷川角行とし、伊藤身禄派に連なる[2]

つまり五世食行身禄(じきぎょう みろく。伊藤身禄のこと)の三女の一行此花(六世伊藤一行)とその養子である七世伊藤参行に連なる[2]。参行に、別の富士講に所属した小谷三志が師事し拡大していった[2]。八世となった三志は富士信仰の呪術的性格よりも実行を重んじ[3]、「不二考」としたが、1838年天保9年)に「不二道」となった[4]。ここから2派が別れ、ひとつが宍野家が広めた扶桑教、もうひとつが柴田家が広めた実行教である[5]

実行教では、まず修行努力の方向を示す行名を授与され、修行が満足に達せられると成功を称える三名が授与される。

歴代道統および管長

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脚注

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参考文献

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外部リンク

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戦前までに日本で発祥した新宗教

神道

黒住教 (1814年) - 禊教 (1840年) - 神習教 (1857年) - 香取金光教 (1857年) - 金光教 (1859年) - 神道修成派 (1869年) - 神道大教 (1872年) - 出雲大社教 (1873年) - 神理教 (1880年) - 御嶽教 (1882年) - 神道大成教(1882年)- 大本 (1892年) - 荒薙教 (1900年) - 一燈園 (1905年) - 心教 (1905年) - 神国教 (1908年) - PL教団 (1916年) -
神道天行居 (1927年) - 松緑神道大和山 (1930年) - 生長の家 (1930年) - 玉光神社 (1932年) - 世界救世教 (1935年) - 璽宇 (1941年)

仏教

如来教 (1802年) - 本門佛立宗 (1857年) - 国柱会 (1884年) - 日本山妙法寺大僧伽 (1917年) - 念法眞教 (1925年) - 一切宗 (1928年) - 解脱会 (1929年) -
霊友会 (1930年) - 創価学会 (1930年) - 在家日蓮宗浄風会 (1931年) - 孝道教団 (1936年) - 真如苑 (1936年) - 立正佼成会 (1938年) - 思親会 (1938年) - 冨士大石寺顕正会 (1942年) - 浄土真宗華光会 (1942年)

天理

天理教 (1838年) - 転輪王教会 (1865年) - 天輪王明誠教団 (1888年) - 大道教 (1900年) - 朝日神社 (1907年) - 茨木一派 (1911年) - ほんみち (1913年) -
天理三輪講 (1931年) - 天理神之口明場所 (1937年) - 太道教 (1940年) - 神一条教 (1942年頃) - 天理甘露台 (1942年頃) - 日月教 (1942年)

その他

天祖光教 (1942年)

神道
教派神道
大本
救世教
その他
仏教
法華
霊友会
日蓮正宗
密教
浄土
その他
オウム
天理教
宗派
ほんみち
その他
キリスト教
日本発祥系
アメリカ発祥系
中国発祥系
朝鮮半島発祥系
フランス発祥系
オーストラリア発祥系
ウガンダ発祥系
イスラム教
ヒンドゥー教
その他民族宗教
民間宗教
精神修養団体・
心霊研究系
宇宙人
UFO宗教系
シンクレティズム
関連項目
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