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小西杏 - Wikipedia

  • ️Tue Dec 16 1980
小西杏
基本情報よみがな こにし あんラテン文字 KONISHI An生年月日 1980年12月16日(44歳)国籍 日本の旗 日本出身地 東京都世田谷区血縁者 吉田海偉選手情報最高世界ランク 20位 (2001年1月)段級位 6段利き腕グリップ シェークハンドラケット ニッタク特注フォア面ラバー キョウヒョウプロIII、バック面ラバー ハモンドFAITTFサイト WTTプロフィール経歴学歴 四天王寺高等学校ITTFワールドツアー戦歴生涯成績 17試合 11勝 勝率65%世界卓球選手権戦歴出場大会数 4初-最終出場 1999 - 2003国内戦歴

獲得メダル

日本の旗 日本
女子卓球
世界卓球選手権
2001 大阪 団体
アジア競技大会
2002 釜山 団体
アジア卓球選手権
2003 バンコク ダブルス
2003 バンコク 混合ダブルス
2003 バンコク 団体
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小西 杏(こにし あん 1980年12月16日- )は、東京都世田谷区出身[1]卓球選手。淑徳学園中学校四天王寺高等学校ミキハウスを経てアスモに所属した。卓球ブンデスリーガ[2]中国卓球スーパーリーグにも一時所属した。

経歴

小学校3年から本格的に卓球を始め世田谷区の自宅から全国一強いといわれる神奈川県のチームや大人のチームで練習を続けた[3]。1992年の全日本選手権ホープス、全日本選手権カデット、1995年、全国中学校卓球大会、1998年インターハイで優勝、1998年アジア競技大会バンコク)では世界ランク2位の李菊を破った[4]

シドニーオリンピック出場権を獲得するために前年の1999年には世界各地のITTFプロツアーを転戦しクロアチアオープンで2位になるなど世界ランクを120位(1998年12月)から28位(2000年1月)まであげた[1]。この年オランダアイントホーフェンで行われた第45回世界卓球選手権個人戦では藤沼亜衣とのダブルスでベスト16に入った。

2000年にマレーシアクアラルンプールで行われた第45回世界卓球選手権団体戦では5位、同年のシドニーオリンピックではシングルスで柳智恵に敗れてベスト16[5]、ダブルスでもベスト16となった。シドニーオリンピック後導入されたこれまでの38mmボールに代わる40mmボールになかなか慣れることができずに一時は卓球をやめようと思ったという[6][7]

2001年大阪で行われた第46回世界卓球選手権の団体準々決勝のルーマニア戦ではナスターゼと対戦し第1セットを落とし第2セットも11-19、15-20でマッチポイントを握られたところ(この後相手が5本のサーブ権)から追いつき、32-30でセットを奪うと、第3セットも取り逆転勝利し、銅メダルに貢献[6]、準決勝の中国戦では張怡寧から1セットを取った。同年12月に行われた全日本選手権では準決勝で元世界チャンピオンの小山ちれを初めて破ったが決勝で梅村礼に敗れて準優勝となった[8]

2001年には中国超級リーグに在籍し[9]、日本人選手として初めてシングルスで勝利をあげた[10]

2002年アジア競技大会釜山)でも団体で銅メダルを獲得したが全日本選手権ではシードされて初戦の4回戦で越崎歩にストレートで敗れた[11]

全日本卓球選手権のダブルスでは2002年度から2004年度まで福原愛とのペアで3連覇、混合ダブルスでも2003年度に新井周とのペアで優勝しているが2004年のアテネオリンピックには4月に行われた予選で韓国の李恩実石恩美に3-4で敗れて出場権を獲得できなかった[12]

2006年1月の全日本選手権では金沢咲希に敗れて準優勝となった[13]

2007年の日韓実業団卓球定期戦では朴美英趙昰羅を倒したがキム・キョンアに敗れて準優勝となった[14][15]

2008年にはアシックス卓球ウェアのモデルに起用された。

2009年12月26日に行われた第50回世界卓球選手権団体戦女子選考会では5勝4敗の6位となり1位のみに与えられる代表内定は果たせなかった[16]

2010年5月、チーム松下がマネージメントしていた岸川聖也吉田海偉高木和卓とともにテイクバックにマネージメントされることとなった[17]。また同年6月5日、グランドプリンスホテル高輪吉田海偉と結婚した[18]

人物

主な戦績

2001年
2002年
2004年
2005年
2006年
2008年

脚注

  1. ^ a b 高い意識とタフな精神力で急成長シドニー五輪ではメダルを狙いに”. SportsParadise (2000年12月16日). 2010年5月25日閲覧。
  2. ^ 平成12年度全日本選手権”. バタフライ. 2010年5月25日閲覧。
  3. ^ 小学校の卒業文集に書いたのは・・・”. SportsParadise (2000年1月22日). 2010年5月25日閲覧。
  4. ^ 小学校の卒業文集に書いたのは・・・”. SportsParadise (2000年1月28日). 2010年5月25日閲覧。
  5. ^ 全日本選手権 女子シングルス 礼と杏、それぞれの壁(後編)” (2002年2月4日). 2010年5月25日閲覧。
  6. ^ a b 五輪での活躍、それが小学生からの夢”. ニッタク (2006年8月号). 2010年5月25日閲覧。
  7. ^ 全日本選手権 女子シングルス 礼と杏、それぞれの壁(後編)” (2002年2月4日). 2010年5月25日閲覧。
  8. ^ 全日本選手権 女子シングルス 礼と杏、それぞれの壁(後編)” (2002年2月4日). 2010年5月25日閲覧。
  9. ^ 成功举办长城汽车中国国际乒乓球擂台赛” ((中国語)) (2001年7月14日). 2010年5月25日閲覧。
  10. ^ 08超級男子第4節 水谷が初勝利!”. 卓球王国 (2008年10月20日). 2010年5月25日閲覧。
  11. ^ 平成14年度全日本選手権特集”. バタフライ (2002年12月20日). 2010年5月25日閲覧。
  12. ^ 图文-奥运乒乓亚洲预选赛结束 仰望小小银球” ((中国語)) (2004年4月13日). 2010年5月25日閲覧。
  13. ^ 男女とも帰化選手の優勝。”. 卓球王国 (2006年1月15日). 2010年5月25日閲覧。
  14. ^ 「日韓実業団卓球定期戦」小西杏が決勝進出!!”. Sports@nifty卓球特集 (2007年8月13日). 2010年5月25日閲覧。
  15. ^ JTTLリーグ写真館: 第15回日韓実業団 女子決勝”. 日本卓球リーグ実業団連盟 (2007年9月4日). 2010年5月25日閲覧。
  16. ^ 活動報告”. アスモ. 2010年5月25日閲覧。
  17. ^ 岸川、吉田、高木和卓選手らがマネージメント新会社に移る”. 卓球王国 (2010年5月14日). 2010年5月25日閲覧。
  18. ^ 小西杏 (2010年6月13日). “報告遅くなりました!”. 2010年6月17日閲覧。
  19. ^ 小西杏がスポーツアイ(ESPN)に登場”. バタフライ. 2010年5月25日閲覧。
  20. ^ アテネ2004 日本代表選手団:卓球”. 日本オリンピック委員会. 2010年5月25日閲覧。

外部リンク

日本の旗全日本卓球選手権優勝者-女子ダブルス

1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

日本の旗全日本卓球選手権優勝者-混合ダブルス

1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

日本の旗全日本卓球選手権優勝者-ジュニア女子

1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代