ja.wikipedia.org

山崎亮平 - Wikipedia

  • ️Tue Mar 14 1989

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山崎 亮平
名前
愛称 ヤマ、ギュンギュン
カタカナ ヤマザキ リョウヘイ
ラテン文字 YAMAZAKI Ryohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1989年3月14日(35歳)
出身地 新潟県南魚沼市
(旧南魚沼郡大和町
身長 173cm
体重 76kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 栃木シティFC
ポジション FW
背番号 41
利き足 右足
ユース
2004-2006 日本の旗 八千代高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2014 日本の旗 ジュビロ磐田 115 (18)
2015-2017 日本の旗 アルビレックス新潟 92 (9)
2018-2020 日本の旗 柏レイソル 20 (0)
2021-2022 日本の旗 V・ファーレン長崎 52 (4)
2023 日本の旗 テゲバジャーロ宮崎 34 (4)
2024- 日本の旗 栃木シティFC 8 (2)
通算 321 (37)
代表歴
2007-2008  日本 U-20 10 (9)
2010-2012  日本 U-21 7 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2025年1月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山崎 亮平(やまざき りょうへい、1989年3月14日 - )は、新潟県出身のサッカー選手JFL栃木シティFC所属。ポジションはフォワード

新潟県南魚沼郡大和町(現在南魚沼市)出身[1]千葉県で育ち、9歳からサッカーをはじめた[2]。中学時に在籍していたFC千葉なのはなジュニアユースでは、同学年の米倉恒貴らと高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会で全国ベスト4になった。千葉県立八千代高等学校に米倉とともに進学し、3年生の時、2006年第85回全国高等学校サッカー選手権大会で全国ベスト4に進出した。

高校卒業後の2007年ジュビロ磐田に入団。すぐにU-18日本代表に立ち上げから招集され、AFC U-19選手権2008 (予選)では5試合5得点と活躍した。翌2008年は、カタール国際ユーストーナメントでも得点王とMVPとなる活躍でU-19代表を優勝に導いた。北京五輪日本代表では、直前の合宿には呼ばれたものの落選した。その後左足を骨折し、AFC U-19選手権2008には選出されなかった。2009年は、再度の骨折により、リハビリを行なった。

2010年、復帰後は主に途中出場ながら徐々に出場機会を得、ナビスコカップ準決勝川崎フロンターレ戦ではチームを決勝へと導くアウェイでの逆転ゴール、決勝サンフレッチェ広島戦では結果的に決勝点となる4点目を挙げ(スコアは2-2から延長戦の末5-3)、優勝に大きく貢献した。またU-21日本代表にも選ばれ、ナビスコカップ直後の第16回広州アジア競技大会では第1戦での先制点など通算2得点を挙げ、代表の優勝にも大きく貢献した。

2012年は、背番号が25から9となり、磐田では2009年まで在籍した中山雅史以来の9番をつける選手で、2人目となった。2月5日に行われたロンドン五輪アジア最終予選第4戦のシリアとの試合にスタメン出場をしたが、相手選手との競り合いでの着地の際に、バランスを崩し、左橈骨(とうこつ)を骨折し、負傷退場となった。その後、全治2ヶ月との診断結果が出た[3]

2015年1月、アルビレックス新潟への完全移籍が発表された[4]

2018年1月9日柏レイソルへの完全移籍が発表された[5]

2021年1月26日V・ファーレン長崎への完全移籍が発表された[6]

2023年1月9日テゲバジャーロ宮崎への完全移籍が発表された。山崎にとってキャリア初のJ3挑戦となる。

同年12月5日、契約期間満了及び来季の契約更新を行わない事が発表された[7]

2024年、栃木シティFCに加入した[8]

愛称は『ギュンギュン』。高校選手権出場時に磐田の先輩である中山雅史(山崎が出場した高校選手権のイメージキャラクターを務めていた)から命名された[9]

2020年6月27日にモデルの安藤やよいと結婚した[10]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007 磐田 29 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2008 6 0 1 0 0 0 7 0
2009 25 0 0 0 0 0 0 0 0
2010 4 0 5 2 2 0 11 2
2011 19 4 4 1 2 0 25 5
2012 9 26 2 3 1 3 2 32 5
2013 21 4 4 3 1 1 26 8
2014 J2 39 8 - 2 2 41 10
2015 新潟 J1 33 5 9 4 0 0 42 9
2016 28 2 4 1 1 1 33 4
2017 31 2 2 0 0 0 33 2
2018 11 17 0 3 1 2 0 22 1
2019 J2 2 0 1 0 0 0 3 0
2020 J1 1 0 1 0 - 2 0
2021 長崎 18 J2 20 0 - 2 0 22 0
2022 32 4 - 3 1 35 5
2023 宮崎 J3 34 4 - 1 0 35 4
2024 栃木C 41 JFL 8 2 - 1 0 9 2
通算 日本 J1 186 19 37 13 11 4 234 36
日本 J2 93 12 1 0 7 3 101 15
日本 J3 34 4 - 1 0 35 4
日本 JFL 8 2 - 1 0 9 2
総通算 321 37 38 13 20 7 379 57

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2018 11 2 0
通算 AFC 2 0
記録等
  1. ^ ジュビロ磐田 選手&スタッフ プロフィール
  2. ^ アルビレックス新潟 トップチーム > トップチーム選手/スタッフ > 山崎 亮平
  3. ^ 山崎亮平選手の負傷について ジュビロ磐田公式サイト 2012.2.9付ニュースリリース
  4. ^ ジュビロ磐田から山崎 亮平選手 完全移籍加入のお知らせ アルビレックス新潟公式サイト 2015.1.7付ニュースリリース
  5. ^ 山崎 亮平選手 移籍加入のお知らせ 柏レイソル公式サイト 2018.1.9付ニュースリリース
  6. ^ 山崎 亮平選手 完全移籍加入のお知らせ V・ファーレン長崎公式サイト 2021.1.26付ニュースリリース
  7. ^ 山崎 亮平選手 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)テゲバジャーロ宮崎、2023年12月5日。2023年12月5日閲覧
  8. ^ 山崎亮平選手 テゲバジャーロ宮崎より完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)栃木シティFC、2024年1月5日。2024年1月8日閲覧
  9. ^ 2015年3月6日『新潟日報』別紙Jリーグ開幕特集
  10. ^ 柏FW山崎亮平 モデル・安藤やよいと結婚「新しい家族とレイソルのために」”. スポーツニッポン (2020年7月1日). 2022年10月30日閲覧。
  11. ^ ジュビロ磐田公式サイト 2013 ヤマザキナビスコカップ vs.清水エスパルス
日本代表 - 出場大会