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平賀義美 - Wikipedia

  • ️Thu Oct 24 2002

平賀義美

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平賀 義美(ひらが よしみ、安政4年8月6日1857年9月23日) - 昭和18年(1943年3月2日)は、日本応用化学者。初名は石松决(いしまつ さだむ)。

筑前国(現・福岡県)出身。福岡藩貢進生として1870年に大学南校入学。ロバート・ウィリアム・アトキンソンに師事して理化学を学び、1878年東京大学化学科卒業。その後、イギリスオーエンス大学に留学し、有機化学と染色を学んだほか、現地の縫製会社で働いて実地研修をした。

帰国後の1881年に東京職工学校教諭。1882年に親戚の判事・平賀義質の死去の際、その娘婿となり、名前を平賀義美に改名。1890年、農商務省技師となる。商工局第三課長時代に、新しく農商務大臣に就任した後藤象二郎が局長人事に不満をもったことから1893年に退職し無職となったが、1894年に大阪府立商品陳列所長となり、大阪府の工業顧問にも就任した[1]

1906年に大阪織物合資会社を遠縁の安川敬一郎らと設立[2]。1917年に大阪実業協会会長となる[3][4][5]

1919年(大正8年)に建設された平賀義美邸(国の登録有形文化財[6])は1990年(平成2年)に川西市郷土館へ移築されている[5]

(共著、翻訳を含む)[22]

  • 物理初步. 下篇(1884年)
  • 容量分析(1885年)
  • 染色術摘要(1886年)
  • 日本工業教育論(1887年)
  • 小学校用理科. 化学篇(1887年)
  • 染色法 : 実地簡便有益(1887年)
  • 応用化学(1891年)
  • 京都及附近光景全圖 第五回内國勸業博覽會紀念(1902年)
  • 大和紀伊及攝河泉名所案内圖 第五回内國勸業博覽會紀念(1902年)
  1. ^ 国家の技術政策 と試験研究機関 府立大阪工業試験場の設立過程鎌谷親善、東洋大学、1984
  2. ^ 官報 1906年11月17日p368
  3. ^ 平賀義美(ひらが よしみ)とは - コトバンク
  4. ^ 20世紀日本人名事典(コトバンク)
  5. ^ a b 平賀義美 歴史が眠る多磨霊園
  6. ^ 旧平賀家住宅主屋(文化遺産オンライン)
  7. ^ a b c d e f g 平賀義美『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  8. ^ 『世にも奇妙な「世界死」大全』 遠海総一、彩図社 2021、p230
  9. ^ 情報検索による歴史上難事件のサイエンス発見藤野清次、情報処理学会研究報告、2016
  10. ^ 英語の師平賀義質『男爵団琢磨伝 上巻』故団男爵伝記編纂委員会、1938、p29-34
  11. ^ 新帰朝者喜憂消息『松下直美概蹟 : 幕末福岡藩洋行の先駆 4』大熊浅次郎、1928、p14-15
  12. ^ 科学的管理法と海外実業練習生 木山実、商学論究 71巻4号、2024年03月
  13. ^ 東洋木材防腐役員日本産業叢書 第1編 (電気大観)、日本産業調査会、1916、p63
  14. ^ 大阪織物東洋経済株式会社年鑑 第3回、1922
  15. ^ 『三田演説会と慶應義塾系演説会』松崎欣一、慶応義塾大学出版局、1998、p549
  16. ^ 東京瓦斯(株)『東京瓦斯七十年史 : 1885-1955』(1956.03)渋沢社史データベース
  17. ^ 寺西成器についてレファレンス協同データベース、2024/10/02
  18. ^ 寺西成器『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  19. ^ 群馬県出身陸軍軍人 石原鬼将軍軍人顕彰会
  20. ^ 江村義三郎人事興信録 第12版上、1940
  21. ^ 『官報』第907号「賞勲叙任」1886年7月10日。
  22. ^ 平賀, 義美 1857-1943 WorldCat Identities