於保氏(おほし、おぼし)は、日本の氏族。日本最古の皇別氏族とされる、多氏(おおし/おおうじ)の末裔説がある。
藤原北家隆家流と称した肥前高木氏の分流であり、高木宗益が肥前国佐賀郡於保村に拠り、初めて於保氏を称した。
『歴代鎮西志』には文治2年(1186年)に初めて於保氏の名が現れている。また、後に佐賀藩士となった一族の於保作左衛門方から寛政年間(1789年)に発見された文書に関連記述が見られる[1]。
所領は、現在の於保天満宮(於保氏館後と伝えられる)を中心とし嘉瀬川の西部一帯と伝わる。
- ^ “中世”. 佐賀市公式ホームページ. 2020年2月25日閲覧。
- 『中世後期における国人領主と地方寺社肥前千葉氏と「公権」の構造』(宮島敬一、2014年)
- 『於保・多一族』[1](日本家系家紋研究所編、日本家系家紋研究所、1986年)
- ^ “書誌詳細”. 国立国会図書館. 2021年2月25日閲覧。