日高三岡駅 - Wikipedia
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日高三岡駅 | |
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ひだかみつおか Hidaka-Mitsuoka | |
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所在地 | 北海道沙流郡日高町字三岩 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 富内線 |
キロ程 | 78.1 km(鵡川起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1964年(昭和39年)11月5日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 富内線廃線に伴い廃駅[1] |
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日高三岡駅(ひだかみつおかえき)は、北海道(日高支庁)沙流郡日高町字三岩にかつて存在した、日本国有鉄道(国鉄)富内線の駅(廃駅)である[1]。事務管理コードは▲132314[3]。
- 1964年(昭和39年)11月5日 - 国有鉄道富内線振内駅 - 日高町駅間の延伸開通に伴い、開業[1][4]。旅客のみ取り扱い[1]の無人駅[5]。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 富内線の全線廃止に伴い、廃駅となる[2]。
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地名より。小海線三岡駅と区別するため旧国名の「日高」を冠した[6][7]。
当初この辺りの南側を三菜頃(サンナコロ)、北側を岡春部(オカシュンベ)と言い、その二集落の間に所在したため其々の頭文字から三岡、旧国名の「日高」を冠した。なお、三菜頃は後に更に南側の岩内と統合し三岩になり、岡春部は富岡になった。
廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(日高町方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[7]。
開業時からの無人駅で駅舎は無かったが、ホーム北側出入口附近にホームに屋根が掛けられた形の待合所を有していた[7]。
山の中の駅であった[7]。
2011年(平成23年)時点では熊笹が生い茂る雑草地となっており、はっきりした位置の特定が難しい状況となっていた[9]。
また、駅跡の日高町方の国道横にコンクリートで塞がれたトンネルの坑口、それに続いて擁壁、落石防止用フェンスが残存していた[9]。このトンネルは1999年(平成11年)時点では塞がれておらず、「トンネル事故感知センサー」の実験に使われていた[10]。
- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、866頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、229頁。doi:10.11501/1873236。2022年12月10日閲覧。
- ^ 「日本国有鉄道公示第527号」『官報』1964年10月31日。
- ^ 「通報 ●富内線振内・日高町間の開業について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1964年10月31日、6面。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、127頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c d e 『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館、1983年7月、108頁。
- ^ a b 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、11頁。
- ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、92-94頁。
- ^ 『鉄道廃線跡を歩くVII』JTBパブリッシング、2000年1月、66頁。