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早瀬方禧 - Wikipedia

  • ️Thu Apr 11 1940

早瀬方禧

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早瀬 方禧
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県蟹江町
生年月日 1940年4月11日
没年月日 2012年8月15日(72歳没)
身長
体重
168 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1963年
初出場 1963年
最終出場 1972年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

この表について

早瀬 方禧(はやせ まさよし、1940年4月11日 - 2012年8月15日)は、愛知県蟹江町[1]出身のプロ野球選手外野手)。

中京商業高校では、3年時の1958年左翼手、控え投手として春夏の甲子園に出場。春の選抜では決勝で済々黌高と対戦、この試合では自身もエース伊藤竜彦をリリーフして活躍したが、1-7で敗退し準優勝に終わる[2]夏の甲子園でも2回戦で同じ済々黌高に敗れる[3]。1年下のチームメートに遊撃手石黒和弘、控え投手の平沼一夫(中京大西濃運輸東京オリオンズ)がおり、彼等は翌1959年春の選抜優勝[2]の中軸となる。

卒業後は中京大学へ進学。エースとなった平沼らを擁し、愛知大学野球リーグでは8シーズン連続優勝。全日本大学野球選手権大会でも4年連続準決勝進出。リーグ通算91試合出場、308打数87安打、打率.282、5本塁打、54打点。首位打者2回、ベストナイン6回受賞。

卒業後の1963年阪急ブレーブスへ入団。この年存在した研修制度[注釈 1]により6月末からの出場[4]となったもののプロ1年目から左翼手のレギュラーを獲得し、五番打者として94試合に出場した。1965年には三番打者、右翼手として117試合に出場し、打率.268はチームで2番目の成績だった。肩も強く1966年は11補殺を記録、同年は32試合に四番打者として起用されている。1967年には主に五番打者として、阪急のパシフィック・リーグ初優勝に貢献した。同年の読売ジャイアンツとの日本シリーズでは4試合に六番打者、右翼手として先発出場。しかし13打数3安打とあまり活躍の場はなかった。1968年には矢野清の台頭により控えに回るが、代打の切札として活躍し、チームは2年連続でリーグ優勝した。翌年、阪急は3年連続のリーグ優勝を成し遂げるも、ヘルニアにより[4]早瀬の出場はわずか10試合にとどまり、この年暮れに戦力外通告を受けた。

1970年より広島東洋カープへ移籍。しかし全盛期のような活躍はできず、1972年オフに引退した。

引退後は、地元・愛知で焼き鳥屋「やきとりの蕃」を経営した[4]

2012年8月15日、肺がんのために死去[5]。72歳没。















O
P
S
1963 阪急 94 333 314 22 81 16 2 8 125 38 4 3 0 1 17 0 1 43 9 .258 .298 .398 .696
1964 122 346 319 29 84 18 1 10 134 44 1 2 1 2 23 3 1 40 3 .263 .315 .420 .735
1965 117 387 336 40 90 19 0 12 145 43 2 3 0 2 48 1 1 42 3 .268 .361 .432 .793
1966 113 371 341 28 80 12 1 10 124 34 3 1 2 1 23 0 4 48 6 .235 .291 .364 .654
1967 116 314 280 20 73 10 0 7 104 37 1 4 1 4 28 1 1 31 4 .261 .330 .371 .702
1968 72 132 117 7 23 5 0 2 34 11 1 0 0 0 15 2 0 12 2 .197 .288 .291 .578
1969 10 10 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 .000 .200 .000 .200
1970 広島 28 27 26 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 1 0 5 0 .077 .111 .077 .188
1971 53 73 65 2 15 4 0 0 19 1 0 0 0 0 7 0 1 11 2 .231 .315 .292 .607
1972 28 29 28 1 6 1 0 0 7 1 0 0 0 0 1 0 0 2 1 .214 .241 .250 .491
通算:10年 753 2022 1834 149 454 85 4 49 694 209 12 13 4 10 165 8 9 234 30 .248 .313 .378 .691
  • 8 (1963年 - 1969年)
  • 3 (1970年 - 1972年)
  1. ^ 高校生は100試合、20歳以上は50試合の出場が制限される[4]
  1. ^ 『週刊ベースボール』 2004年12月6日号、ベースボール・マガジン社、86頁。
  2. ^ a b 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  4. ^ a b c d 『週刊ベースボール』、87頁。
  5. ^ 訃報:早瀬方禧さん72歳=元プロ野球阪急外野手 毎日新聞 2012年8月15日閲覧