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渡辺紀子 - Wikipedia

  • ️Tue Jun 15 1943

渡辺紀子

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渡辺 紀子
(紀子女王)
竹田宮家
続柄 竹田宮恒徳王第2王女子

全名 渡辺 紀子(わたなべ のりこ)
身位 女王 →(皇籍離脱
敬称 殿下 →(皇籍離脱)
出生 1943年6月15日(81歳)
日本の旗 日本東京府東京市芝区 竹田宮邸
配偶者 渡辺宣彦
子女 渡辺徹
父親 竹田宮恒徳王
母親 恒徳王妃光子
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渡辺 紀子(わたなべ のりこ、1943年昭和18年〉6月15日 - )は、日本旧皇族竹田宮恒徳王の第2王女子。母は、公爵三条公輝令嬢・光子。旧名、紀子女王(のりこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称殿下

1943年昭和18年)6月15日竹田宮恒徳王同妃光子の第2王女子として、東京府東京市芝区高輪南町(現:東京都港区高輪)の竹田宮邸で生まれる。日本国憲法施行後の1947年(昭和22年)10月14日皇室典範第11条1項により、父や家族とともに皇籍離脱。以後は、「竹田 紀子(たけだ のりこ)」と名乗る。レイケムカンパニー副支店長の渡辺宣彦と結婚し、「渡辺 紀子」となるが、夫とは1981年(昭和56年)に死別[1]

子は、次世代の党 衆議院東京都第1支部 支部長を務めた渡辺徹[2] 。

  • 子女:
    • 長男:渡辺徹
  1. ^ プロフィール”. 渡辺徹. 2019年5月3日閲覧。
  2. ^ 竹田恒泰×渡辺 徹「明治天皇の玄孫の戦後70年談話」”. PRESIDENT ONLINE. 2019年5月3日閲覧。
  • 第一編集局セオリープロジェクト編 『名家・名門の秘密』 講談社、2009年。
  • 竹田恒泰著 『語られなかった皇族たちの真実』