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白滝政孝 - Wikipedia

  • ️Tue Jan 11 1949

白滝政孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

白滝 政孝
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県大和郡山市
生年月日 1949年1月11日(76歳)
身長
体重
176 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1971年 ドラフト3位
初出場 1972年
最終出場 1980年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

この表について

白滝 政孝(しらたき まさたか、1949年1月11日 - )は、奈良県大和郡山市出身の元プロ野球選手外野手)。

郡山高校では2年次の1965年、エースとして夏の県予選決勝に進出するが、外山義明門田博光のいた天理高に敗れる。3年次の1966年には打力の良さから打者に転向し、4番・右翼手として紀和大会決勝で向陽高を破り、33年ぶりに夏の甲子園へ出場[1]。2年生エース植村秀明を擁し、1回戦で小千谷高を降すが、2回戦では横浜一商佐々木正雄日大)と植村の投手戦となり、延長10回の熱戦の末に2-6で敗退した[2]

高校卒業後は1967年関西大学へ進学し、関西六大学リーグでは1年上の久保田美郎、2年下の山口高志両投手を擁し、3年次の1969年春季から4季連続優勝を経験。白滝は3年からレギュラーとなり、5番打者として貴重な得点源であった。4年次の1970年には全日本大学野球選手権大会で決勝に進出するが、中京大に敗れる。リーグ通算63試合出場、215打数53安打、打率.247、6本塁打を記録。大学同期には杉政忠雄(西川物産)がいた。

大学卒業後は1971年新日本製鐵広畑へ入社し、社会人1年目ながら3番を打つ。同年の都市対抗では、三菱自動車川崎小川邦和日本鋼管から補強)から本塁打を放つなど、佐々木恭介と共に中心打者として活躍。決勝では丸善石油門田純良愛媛相互銀行から補強)から7回に適時打を放ち、山中正竹住友金属から補強)、三沢淳の継投で3年ぶりの優勝を飾った[3]。チャンスに滅法強い打の立役者として都市対抗の優勝に貢献し、同年の第9回アジア野球選手権大会日本代表にも選出される。成績は136打数39安打の打率.289、3本塁打、16打点をマークし、投の三沢、打の白滝といわれ、主力として活躍。毎夜素振りをしないと寝られないというほどの野球の虫で、両手のにはバットによるマメが出来ていた。

同年のドラフト3位で中日ドラゴンズに入団[1]し、1年目の1972年は、9月に2番・右翼手として2試合に先発出場。2年目の1973年には二軍ウエスタン・リーグ本塁打王、1975年に首位打者、1976年にも2度目の本塁打王を獲得したが、一軍ではあまり活躍できなかった。1976年オフに芝池博明との交換トレードで近鉄バファローズへ移籍[1]し、近鉄では代打として好成績をあげ、1977年から1980年には各年3~4試合に先発出場を果たし、1977年から1979年には3年連続打率3割をマーク。1978年6月8日日本ハム戦(後楽園)では7回無死1、2塁での場面で見事、間柴茂有から決勝の3ラン本塁打を放つ。カウント2-0からの3球目で、自身唯一の本塁打となった。試合後、白滝は「1球遊んでくるなんて全然考えてなかった。もうどうでもいいと、やけっぱちで振ったんですよ。これが風にのってくれたんですねぇ。ラッキーでした」と興奮気味に語った。1980年のシーズン後半には打撃不振もあって出場機会が減少し、同年限りで現役を引退[1]















O
P
S
1972 中日 3 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .143 .143 .143 .286
1973 6 1 1 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
1974 6 2 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1976 6 5 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .200 .200 .200 .400
1977 近鉄 13 21 20 2 6 1 0 0 7 3 0 0 0 0 1 0 0 5 0 .300 .333 .350 .683
1978 12 22 19 1 6 1 0 1 10 7 0 0 0 0 3 0 0 3 0 .316 .409 .526 .935
1979 28 34 33 7 10 2 0 0 12 5 1 1 0 0 1 0 0 4 0 .303 .324 .364 .687
1980 34 19 17 3 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 1 0 0 2 1 .118 .167 .118 .284
通算:8年 108 111 103 15 27 4 0 1 34 16 1 1 2 0 6 0 0 18 1 .262 .303 .330 .633
  • 36 (1972年 - 1980年)
  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、283ページ
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年