百瀬結 - Wikipedia
- ️Invalid Date
百瀬結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
百瀬 結(ももせ ひとし、1897年11月1日 - 1982年12月24日)は日本の実業家。元日本ビクター社長・会長。ビクター中興の祖。
長野県東筑摩郡片丘村北内田(現・松本市)に生まれる。1918年旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)卒業、1924年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。
住友銀行人形町支店長等を経て、1950年住友銀行常務。1951年、鈴木剛頭取と共に借金の膨らんだ東映に11億円(2006年の貨幣価値に換算すると数100億円)[1]の融資を行う[1][2]。交渉相手は五島慶太・五島昇親子で[1]、東映再建が失敗していたら五島家は破産していたといわれる[1]。1952年、松下幸之助の要請を受け松下電器産業入社、1953年取締役就任。
1953年日本ビクター副社長に就任。野村吉三郎社長とともに、同社の再建にあたる[3]。
1962年から1970年まで日本ビクター社長、1970年から1973年まで同会長。同社の経営基盤を築く。5億円の借金を5年で完済。[3]。徹底した無駄の排除を進め、「モモケチ」 と呼ばれた[4]。このほか1970年からFM東京取締役。
1982年12月24日、東京都杉並区清水の自宅で死去。享年85。東京カテドラル聖マリア大聖堂で社葬が開かれた。
妻の鄙子は海軍軍医少将・戸塚環海(戸塚文海の養嗣子)の四女[5]。