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第31回世界遺産委員会 - Wikipedia

文化遺産16件、自然遺産5件、複合遺産1件の計22件が新規に登録された一方、1件が削除された結果、世界遺産リスト登録物件の総数は851件となった。世界遺産リストから物件が削除されたのは、この第31回世界遺産委員会が最初である。

物件名に * 印が付いているものは既に登録されている物件の拡大登録などを示す。太字は正式登録(既存物件の拡大などについては申請要件が承認)された物件。英語名とフランス語名は諮問機関の勧告文書に基づいており[4]、登録時に名称が変更された場合にはその名称を説明文中で太字で示してある。

画像 推薦名 推薦国 勧告 決議 アルバニアの旗 アルバニア
ベラト歴史地区(25世紀にわたって文化が継続し、宗教が共存する町) ―― 登録延期 情報照会 The Historic Centre of Berat (City of 25 Centuries Cultural Continuity and Religious Coexistence) Le centre historique de Berat (ville de 25 siècles de continuité culturelle et de coexistence religieuse) ベラトは紀元前4世紀に遡る歴史を持つ都市だが、オスマン帝国時代の街並みがよく残っている。世界遺産委員会の「情報照会」決議は、前々回(2005年)にアルバニアの世界遺産に加わった「ジロカストラの博物館都市」の拡大登録としての推薦を促すものであった[29]。これを受けて、翌年の第32回世界遺産委員会でそのように再審議され、世界遺産リストに加わることになる。 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
ラ・プラタ建設当初の都市地域 ―― 不登録 ―― Foundational City Area of La Plata Zone urbaine de fondation de La Plata ラ・プラタはルネサンスの理想都市ユートピア社会主義などを取り込んだ19世紀の近代的都市計画の傑作として推薦されたが、文化遺産の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) の勧告では、そうした主張は受け入れられなかった[30]。不登録勧告を受けて、当該国は推薦を取り下げた[31]オーストラリアの旗 オーストラリア
シドニー・オペラハウス (1) 登録 登録 Sydney Opera House Opéra de Sydney ヨーン・ウッツォン設計で1973年に完成したオペラハウスである。1981年の第5回世界遺産委員会で登録延期となっていたが、その後、モダニズム建築登録への理解が深まったことなどにより、それから36年目での登録となった[32] オーストリア
ブレゲンツの森英語版の文化的景観 ―― 登録延期 登録延期 Bregenzerwald Cultural Landscape Paysage culturel du Bregenzerwald ブレゲンツの森は、山岳地帯の伝統的な農牧業が守られている地域だが、顕著な普遍的価値の証明が不十分とされた[33]アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
ゴブスタンの岩絵の文化的景観 (3) 情報照会 登録 Gobustan Rock Art Cultural Landscape Paysage culturel d’art rupestre de Gobustan 登録対象には6,000点の岩絵が残り、描かれている動物などは半砂漠地帯の現代に比べて、かつては湿潤な気候であったことを示している[34][35]。また、狩猟などの生活様式に関わる岩絵、儀式などの宗教活動に関わる岩絵も残り、先史時代の人々の様子を物語る[34]ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋 (2), (4) 情報照会 登録 Mehmed Paša Sokolović Bridge in Višegrad Pont Mehemed Pasha Sokolovich de Visegrad 16世紀オスマン帝国の宰相ソコルル・メフメト・パシャの名を冠したこの橋は、彼に命じられた名工ミマール・スィナンの手になる傑作である[12]。この橋は、西欧でルネサンス建築が栄えていた時期に、オスマン帝国の建築技術が遜色の無い高水準にあったことを伝えている[12][36]カンボジアの旗 カンボジア
プレアヴィヒア寺院の聖地 ―― 登録 登録の見送り The Sacred Site of the Temple of Preah Vihear Le site sacré du temple de Preah Vihear タイカンボジアの国境付近にあるプレアヴィヒア寺院は、領有権を巡る問題から、登録が先送りされた[37]。翌年の第32回世界遺産委員会で範囲を限定して正式登録されるが、タイとカンボジアの国境紛争を引き起こすこととなる。 カナダの旗 カナダ
リドー運河 (1), (4) 登録 登録 The Rideau Canal Le canal Rideau 1832年開通のリドー運河は、現在も機能し続けている北米最古の運河として、オタワキングストンを結んでいる[18][38]。当初は軍事目的が中心だったが、19世紀後半以降、レジャー目的に転用されている[18]中華人民共和国の旗 中国
開平楼閣と村落 (2), (3), (4) 登録 登録 Kaiping Diaolou and Villages Diaolou et villages de Kaiping 開平市華僑を多く送り出した地であり、その地に残る望楼は彼らの資金によって、特に19世紀から20世紀初頭にかけて建てられたものである[5][39]。建築様式には以来の伝統と西洋の様式とが混ざり合っており、華僑文化の優れた例となっている[5][39] チェコ
ヴェルケー・ロシニ英語版の手漉き紙製造所 ―― 不登録 ―― Hand Paper Mill at Velké Losiny Manufacture de papier à la cuve de Velké Losiny オロモウツ州で16世紀末以降営まれてきた手漉き紙の製造業に関し、19世紀の作業場などが推薦された[40]。ICOMOSはこれ単独での世界遺産登録は否定したが、製紙業およびその利用(印刷業など)に関する一層広い視野でなら、その一部となりうるとした[41]。勧告を受けて、当該国は推薦を取り下げた[42] フィンランド
パイミオ病院(パイミオの旧サナトリウム) ―― 登録延期 ―― Paimio Hospital (former Paimio sanatorium) Hôpital de Paimio (ancien sanatorium de Paimio) フィンランド南西部パイミオの旧サナトリウムは、アルヴァ・アールト設計で1930年代前半に建てられたモダニズム建築である[43]。アールトの代表作の一つとして知られる作品ではあるが[44]、ICOMOSは世界遺産としての価値の証明が不十分として登録延期を勧告した[45]。勧告を受けて、当該国は推薦を取り下げた[42]フランスの旗 フランス
月の港ボルドー (2), (4) 登録 登録 Bordeaux, Port of the Moon Bordeaux, Port de la Lune 「月の港」は、ボルドーガロンヌ川の三日月状の湾曲に沿った港町であることから付いた異称である[46][47]。特に18世紀の新古典主義建築などの街並みが評価されている[46][47]フランスの旗 フランス
スペインの旗 スペイン
ピレネー地方の地中海沿岸 ―― 不登録 ―― The Mediterranean Shore of the Pyrenees Le Rivage méditerranéen des Pyrénées ピレネー山脈が地中海に沈降している沿岸部は、新石器時代以降、東西から様々な民族が入植し、それらの影響が混ざりあった独自の文化的景観が形成された[48]。不登録勧告を受けて、当該国は推薦を取り下げた[49]ドイツの旗 ドイツ
ハイデルベルクの城と旧市街 ―― 登録延期 登録延期 Heidelberg Castle and Old Town Château et vieille ville de Heidelberg ハイデルベルク城ハイデルベルク大学ハイデルベルク旧市街などを一体として文化的な価値の高さが主張されたが[50]、ドイツ国外の諸都市との比較研究などによる更なる価値の証明が求められた[51]。ICOMOSの勧告は第29回世界遺産委員会(2005年)のものと変わらなかったが、そのときが「情報照会」決議だったのに対し、今回は勧告通り「登録延期」決議となった。 ギリシャの旗 ギリシャ
ケルキラ旧市街(コルフ旧市街) (4) 登録 登録 The Old Town of Corfu La vieille ville de Corfou ケルキラはかつてヴェネツィア共和国の領土だったことがあり、当時のイタリア名はコルフだった[52]。その時代に築かれた城塞をはじめとする旧市街の建造物群は、かつて繁栄したヴェネツィア領内の城塞や港町の様式を伝えている[27][53]インドの旗 インド
赤い城の建造物群 (2), (3), (6) 登録 登録 The Red Fort Complex L’ensemble du Fort Rouge ムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンデリーに築いた赤い砂岩の城で、イスラーム建築を基本としつつ、インドやペルシアの様式も活用されている[34][54]。後にはデリーだけでなく、ラージャスターンの建築などにも影響を与えた[34]イラクの旗 イラク
都市遺跡サーマッラー (2), (3), (4) 登録延期 登録 Samarra Archaeological City Ville archéologique de Samarra サーマッラーは9世紀にはアッバース朝の首都となっており、螺旋状のミナレットをはじめとする当時の建造物群が残る[34]。後の建築に影響を及ぼした歴史的意義もさることながら[34]、アッバース朝の都市計画の原型が残る都市遺跡は他にないとされている[34][55]イスラエルの旗 イスラエル
ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖地群 ―― 情報照会 情報照会 Bahá’i Holy Places in Haifa and the Western Galilee Lieux saints bahá’is à Haïfa et en Galilée occidentale 19世紀に勃興したバハイ教の開祖バハーウッラーの廟などを対象とする。翌年の第32回世界遺産委員会で登録されることになる。 イタリアの旗 イタリア
ヴァルネリーナイタリア語版マルモレの滝英語版 ―― 登録延期 ―― Valnerina and the Marmore Cascade Valnerina et cascade des Marmore ヴァルネリーナは、古代ローマ時代に遡る水利システムが残る文化的景観を形成しており、マルモレの滝も人工的に作り出されたものである[56]。しかし、価値の証明自体が不十分であるとされた[57]。勧告を受けて、当該国は推薦を取り下げた[58]日本の旗 日本
石見銀山遺跡とその文化的景観 (2), (3), (5) 登録延期 登録 Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape Mine d’argent de Iwami Ginzan et son paysage culturel 石見銀山は、その銀が16世紀から17世紀にヨーロッパとの経済・文化交流に貢献したことや、灰吹法を発展させた伝統的生産技術を伝える遺構が残されていることなどが評価された[59]。逆転登録にあたっては、持続可能な開発の概念に通じる森林管理が行われていた点なども考慮された[32][60]。登録対象には文化的景観を形成する周辺の鉱山街や街道なども含まれる[59]日本の世界遺産として初の産業遺産登録となっただけでなく[61]、アジアで初の鉱山遺跡の登録ともなった[60] ケニア
ミジケンダのカヤの聖なる森林群 ―― 登録延期 情報照会 The Sacred Mijikenda Kaya Forests Les forêts sacrées de Kaya des Mijikenda ケニアのインド洋沿いの地域に広がる11の「カヤ」を対象としている[62]。カヤに含まれるのは、16世紀以降ミジケンダが伝統的な文化や信仰と結びつけて培ってきた森林と集落であり[62]、1940年代に放棄された後も、長老たちによって守られている[63]。翌年の第32回世界遺産委員会で正式登録されることになる。 キルギスの旗 キルギス
スライマン=トーの文化的景観(聖なる山) ―― 情報照会 情報照会 The Sulaiman-Too Cultural Landscape (Sacred Mountain) Le paysage culturel de Sulaiman-Too (montagne sacrée) スライマン=トーはキルギスのオシ近郊にある古来聖なる山として崇拝されてきた山で、イスラームの流入によってモスクなども建てられたが、この山では伝統的な信仰も残り続けている[64]。キルギス初の世界遺産登録を目指したが、翌年の再審議でも認められず、2009年の第33回世界遺産委員会で正式登録されることになる。 メキシコの旗 メキシコ
メキシコ国立自治大学の大学都市の中央キャンパス (1), (2), (4) 登録 登録 Central University City Campus of the Universidad Nacional Autónoma de México (UNAM) Campus central de la cité universitaire de l’Universidad nacional Autónoma de Mexico (UNAM) メキシコ国立自治大学は1551年開学の王立メキシコ大学を前身としており[65]アメリカ大陸では最古の部類に属する大学だが[23]、世界遺産に登録されたのは1949年から1952年にかけて形成された大学都市である[23]モダニズム建築の専門家だけでなくダビッド・アルファロ・シケイロスディエゴ・リベラといったメキシコ壁画運動に携わった芸術家たちも参加している[65]。その建造物や壁画などは、ラテンアメリカの現代性の象徴とも言われる[66]ナミビアの旗 ナミビア
トゥウェイフルフォンテーン(ツウィツァウス) (3), (5) 登録 登録 Twyfelfontein or /Ui-//aes Twyfelfontein ou /Ui-//aes トゥウェイフルフォンテーンは、アフリカの遺跡の中でも岩絵の集中度の高さに特色があり、範囲内では2,075点が確認されている[46]。6,000年前から2,000年前のそれらの岩絵群には、ライオンやキリンなどの大型動物や、当時暮らしていた狩猟民族の宗教儀式などが描かれている[67]フィリピンの旗 フィリピン
バタネスの文化的景観 ―― 登録延期 情報照会 The Batanes Cultural Landscapes Les paysages culturels des Batanes バタネスは古くからの伝統的土地利用が維持されている地域などとして推薦されたが[68]、価値の証明をはじめとする諸々の調査の不足を指摘された[69]ポーランドの旗 ポーランド
グダニスク - 記憶と自由の地 ―― 不登録 ―― Gdańsk – The Site of Memory and Freedom Gdańsk – Ville de mémoire et de liberté グダニスクは長い歴史を持つ都市であるとともに、第二次世界大戦で大きな被害を受けた街であることや、1980年代には独立自主管理労働組合「連帯」の本拠地としてポーランド民主化運動に寄与したことなどから推薦された[70]。ICOMOSは、歴史的建築物には世界遺産となりうるものがあることを認めたが、「記憶と自由」というストーリーとは合致しないとした[71]。また、20世紀のグダニスクの経験は、歴史的事件との結びつきに適用される登録基準 (6) に合致しうることを認めたが、比較研究が不足しており、適用できないとした[71]。勧告を受けて、当該国は推薦を取り下げた[58] ルーマニア
シビウ歴史地区 ―― 不登録 登録延期 Sibiu, the Historic Centre Sibiu, le centre historique シビウの中世以来の歴史的な街並みが推薦されたが、価値の証明がなされていないとして不登録が勧告された[72]。世界遺産委員会の審議では、既存のルーマニアの世界遺産への拡大登録という形も検討するように指摘された[58]セルビアの旗 セルビア
ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナ (3), (4) 登録 登録 Gamzigrad-Romuliana, Palace of Galerius Gamzigrad-Romuliana, palais de Galère ガムジグラードは、古代ローマ皇帝ガレリウスの出身地であり、彼が建設した都市はその母の名にちなんでロムリアーナと呼ばれた[21][73]。その宮殿は隠居したガレリウスが最期を迎えた場所でもある[73]。現世と来世が別々の区画に表現され、それらが結び付けられていることなどに特色がある[21]スイスの旗 スイス
ラヴォー、湖とアルプスを望むブドウ段々畑 (3), (4), (5) 登録 登録 Lavaux, Vineyard Terraces overlooking the Lake and the Alps Lavaux, vignoble en terrasses face au lac et aux Alpes ブドウ生産の歴史が古代ローマ時代にまで遡るといわれるラヴォーでは、11世紀以降に組織的な生産が行われるようになり、14世紀にはレマン湖畔に段々畑が築かれた[27]。正式登録にあたり、登録名は「ラヴォーのブドウ段々畑」(Lavaux, Vineyard Terraces / Lavaux, vignoble en terrasses) と簡略化された。 タジキスタンの旗 タジキスタン
サラズム ―― 登録延期 登録延期 Sarazm Sarazm サラズムは紀元前3000年以前に遡る中央アジア最古の定住地の遺跡であり、初期都市の発展過程や広範囲の交流の様子を伝えている[74]。タジキスタン初の世界遺産を目指したが、正式登録は2010年の第34回世界遺産委員会でのことになる。 トルクメニスタンの旗 トルクメニスタン
ニサのパルティア時代の城塞群 (2), (3) 登録 登録 The Parthian Fortresses of Nisa Les forteresses parthes de Nisa ニサは紀元前3世紀から3世紀に栄えた2つの遺丘から成る都市遺跡である[5]パルティア王国時代の権勢や、地中海世界から中央アジアに至る広範囲の交流を伝えている[5][75]イギリスの旗 イギリス
ダウン英語版のダーウィン関連遺産 ―― 不登録 ―― Darwin at Downe Darwin à Downe チャールズ・ダーウィンが長年暮らし、主著『種の起源』を構想・執筆した邸宅 (Down House) と、周辺の文化的景観を対象としている[76]。ICOMOSはダーウィンの業績の歴史的意義を認めつつも、現状の邸宅と周辺環境は当時と様変わりしすぎており、推薦物件には世界遺産としての価値を認められないとした[77]。勧告を受けて、当該国は推薦を取り下げた[78]

太平洋地域の島国であるニュージーランドでの開催とあって、地域の島嶼国家における世界遺産への取り組みが議題となった。この委員会の開催時点では太平洋島嶼国家の世界遺産はわずかに4件(ニュージーランドの世界遺産3件、ソロモン諸島の世界遺産1件)であるが、21世紀に入って地域の締約国も増えてきた[1]。この委員会では、第27回世界遺産委員会(2003年)で採択されていたプログラム「Pacific 2009」の実施状況についての報告と、新たな目標の策定などが行われた[89]

ドレスデン・エルベ渓谷の世界遺産リストからの抹消や、ロンドン塔の危機遺産リスト登録などの当否が議論になる一方で、適切な景観保護が行われた例の紹介も行われた。14階建ての商業施設を11階建てにする改築が進行中のイスファハンのイマーム広場(イラン、1979年登録)、73 mの高層建築の計画が47 mに修正されたフェルテー / ノイジードル湖の文化的景観(ハンガリー / オーストリア、2001年登録)などがそれである[81][94]