遠山明美 - Wikipedia
遠山明美
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プロフィール | |
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出身地 |
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公称サイズ(1961年[1]時点) | |
身長 / 体重 | 169 cm / 53 kg |
BMI | 18.6 |
スリーサイズ | 86 - 58 - 93 cm |
活動 | |
備考 | ミス・ユニバース日本代表 |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
遠山 明美(とおやま あけみ)は1961年(昭和36年)のミス・ユニバース日本代表である。
東京都立川市出身。武蔵野女子学院短期大学家政科2年だった20歳のとき、ミス・ユニバース、ミス・ワールド、ミス・インターナショナルの各日本代表を選ぶ「ミス日本コンテスト」に応募し、東京代表となった。1961年(昭和36年)6月14日、大阪市のフェスティバルホールで開かれた全国大会でミス・ユニバース日本代表に選出された。ミス・ワールド日本代表には大阪代表の村上千恵、ミス・インターナショナル日本代表には兵庫代表の京藤敦子が選出された[2][3]。遠山は翌月にアメリカ合衆国のマイアミビーチで開かれた世界大会に出場したが、入賞を果たすことは出来なかった。
1965年(昭和40年)冷暖房設備会社の社長と結婚し、1974年(昭和49年)青木明美として週刊誌の座談会に参加した。その時点で3歳の娘がいた[4]。
- ^ 相沢正夫『数字雑学事典』毎日新聞社、1977年4月5日、90-91頁。 NCID BA75766185。
- ^ ミス・コンテスト 日本代表きまる『朝日新聞』1961年6月15日11面
- ^ 『毎日新聞』1961年6月15日11面「雑記帳」コーナー
- ^ 「23年間のミス・ユニバース 美女の運命はいかに?」『週刊朝日』第79巻第20号、朝日新聞社、1974年5月3日、139-143頁。
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