野積橋 - Wikipedia
野積橋 | |
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基本情報 | |
国 |
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所在地 | 新潟県長岡市寺泊野積 |
交差物件 | 大河津分水路 |
用途 | 道路橋 |
路線名 |
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管理者 | 新潟県長岡地域振興局 |
設計者 | 鹿島建設 |
施工者 | 鹿島建設 |
竣工 | 1967年(昭和42年)6月13日 |
座標 | 北緯37度39分53.6秒 東経138度46分56.2秒 / 北緯37.664889度 東経138.782278度 |
構造諸元 | |
形式 | ラーメン橋 |
材料 | プレストレスト・コンクリート |
全長 | 211.000 m |
幅 | 6.800 m |
最大支間長 | 86.000 m |
関連項目 | |
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野積橋(のづみばし)は、新潟県長岡市寺泊野積の大河津分水路に架かる国道402号(国道460号重用)の橋長211 m(メートル)のラーメン橋。
概要
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現橋の諸元
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- 形式 - PC3径間連続有ヒンジ[注釈 1]ラーメン箱桁橋
- 橋格 - 第2種 (TL-14)
- 橋長 - 211.000 m
- 支間割 - ( 62.000 m + 86.000 m + 62.000 m )
- 総幅員 - 6.50 m
- 有効幅員 - 6.000 m
- 車道 - 6.000 m
- 歩道 - なし
- 橋台 - ラーメン式橋台2基
- 基礎 - ケーソン
- 設計 - 鹿島建設
- 施工 - 鹿島建設
- 施工工法 - ディビダークカンチレバー工法
新橋の諸元
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新野積橋(仮称) | |
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基本情報 | |
国 |
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所在地 | 新潟県長岡市寺泊野積 |
交差物件 | 大河津分水路 |
用途 | 道路橋 |
路線名 |
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設計者 | 建設技術研究所 |
着工 | 2017年(平成29年)7月14日 |
座標 | 北緯37度39分55.5秒 東経138度46分51.0秒 / 北緯37.665417度 東経138.780833度 |
構造諸元 | |
形式 | 5径間連続箱桁橋 |
材料 | プレストレスト・コンクリート |
全長 | 426.000 m |
幅 | 11.000 m |
最大支間長 | 100.000 m |
関連項目 | |
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- 形式 - PC5径間連続箱桁橋
- 橋長 - 426.000 m
- 支間割 - ( 66.200 m + 3×100.000 m + 57.200 m )
- 総幅員 - 11.000 m
- 有効幅員 - 10.000 m
- 車道 - 7.500 m
- 歩道 - 海側2.500 m
- 基礎 - ニューマチックケーソン工法(橋脚)[3]、場所打ち杭基礎(橋台)
- 設計 - 建設技術研究所[4]
- 施工 - 中元組(A2)[5]、安藤・間(P3・P4)[6]、植木組(P2)[6]
歴史
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信濃川の洪水を日本海に直接放流するために掘削された人工河川である大河津分水路は1922年(大正11年)に通水した[9]。これに架かる橋として初代の木橋が1931年(昭和6年)に架橋された[10]。
この木橋の代替として2代目の橋梁が県道橋として新潟県により架橋されることとなった。架橋地点は上流の信濃川分派点に大河津可動堰があるため流量が不安定であり、また、低水敷が広いため上下部工施工のために支保工工法によることは非常に困難であった。このため、下部工施工にはケーソン工法が、上部工施工には当時珍しかった全径間張出し架設工法が採用された[1]。この2代目橋梁は2億3000万円余を費やして1967年(昭和42年)6月13日に竣工した[11][12]。
大河津分水路の大改修が2015年度(平成27年度)に事業化され、これにより河口付近の川幅を180 mから280 mに広げて河積を大きく拡幅するのに合わせて本橋も架替えられることとなった[13]。架替事業は大河津分水路改修事業の一環として新潟県の協力の下国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所により進められている。新橋は現橋の下流に架設され、海側に歩道も設けられることになった。設計はICT活用としてCIM3次元モデル活用し、建設技術研究所により行われた[14]。2016年(平成28年)5月10日に河川管理者と道路管理者の間で架替に関する基本協定が締結され[15]、は2017年度(平成29年度)に右岸側橋台 (A2) から着工した[7]。A2橋台が2019年(平成31年)1月に完成し、P2・P4橋脚が2019年(令和元年)12月に完成した[16]。
参考文献
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- 後上政身、藤田和仁「野積橋工事報告」『プレストレストコンクリート』第10巻第1号、プレストレストコンクリート工学会、1968年1月、6–13、ISSN 0387-1983。
脚注
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注釈
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- ^ ヒンジは中央径間
出典
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- ^ a b 後上政身 & 藤田和仁 1968, p. 6.
- ^ “カンチレバー工法実績集”. カンチレバー技術研究会 (2020年9月). 2021年4月8日閲覧。
- ^ “分水路だより第52号” (PDF). 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所 (2019年8月1日). 2021年4月8日閲覧。
- ^ “BIM/CIMへの取り組み”. 建設技術研究所. 2021年4月8日閲覧。
- ^ “分水路だより第29号” (PDF). 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所 (2017年9月1日). 2021年4月8日閲覧。
- ^ a b “分水路だより第43号” (PDF). 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所 (2018年11月1日). 2021年4月8日閲覧。
- ^ a b “野積橋” (PDF). 分水路だより特別号. 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所 (2017年6月). 2021年4月8日閲覧。
- ^ “大河津分水路「令和の大改修」全体事業計画(事業費、工程)の変更について” (PDF). 第5回大河津分水路改修事業監理委員会資料. 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所. p. 10 (2022年2月1日). 2022年2月2日閲覧。
- ^ “大地に恵み 人に安らぎ 大河津分水 地域とともに未来をひらく” (PDF). 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所. 2021年4月8日閲覧。
- ^ “野積橋1931”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年4月8日閲覧。
- ^ “野積橋1967”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年4月8日閲覧。
- ^ 「モダンな野積橋完成」(PDF)『広報てらどまり』第39巻、寺泊町、1967年6月15日、1頁、2021年4月7日閲覧。
- ^ “分水路だより第1号” (PDF). 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所 (2015年1月). 2021年4月8日閲覧。
- ^ 「大河津分水路改修事業におけるCIMの取り組みについて」(PDF)『雪の音』第135巻、建設コンサルタンツ協会北陸支部、2019年2月15日、2–5、2021年4月7日閲覧。
- ^ “大河津分水路の改修事業について” (PDF). 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所 (2016年3月). 2021年4月8日閲覧。
- ^ “分水路だより第58号” (PDF). 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所 (2020年2月1日). 2021年4月8日閲覧。
外部リンク
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- 新潟県長岡地域振興局地域整備部 - 橋梁管理者
- 国土交通省 北陸地方整備局 信濃川河川事務所 - 架替事業者
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