馬韓 - Wikipedia
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馬韓 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 마한 |
漢字: | 馬韓 |
発音: | マハン |
日本語読み: | ばかん |
ローマ字: | Mahan |
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![]() 朝鮮の歴史 | ||||||||
考古学 | 朝鮮の旧石器時代 櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC 無文土器時代 1500 BC-300 BC | |||||||
伝説 | 檀君朝鮮 | |||||||
古朝鮮 | 箕子朝鮮 | |||||||
燕 | ||||||||
辰国 | 衛氏朝鮮 | |||||||
原三国 | 辰韓 | 弁韓 | 漢四郡 | |||||
馬韓 | 帯方郡 | 楽浪郡 | 濊 貊 |
沃 沮 | ||||
三国 | 伽耶 42- 562 |
百済 |
高句麗 | |||||
新羅 | ||||||||
南北国 | 唐熊津都督府・安東都護府 | |||||||
統一新羅 鶏林州都督府 676-892 |
安東都護府 668-756 |
渤海 698-926 | ||||||
後三国 | 新羅 -935 |
後 百済 892 -936 |
後高句麗 901-918 |
遼 | 女真 | |||
統一 王朝 |
高麗 918- | 金 | ||||||
元遼陽行省 (東寧・双城・耽羅) | ||||||||
元朝 | ||||||||
高麗 1356-1392 | ||||||||
李氏朝鮮 1392-1897 | ||||||||
大韓帝国 1897-1910 | ||||||||
近代 | 日本統治時代の朝鮮 1910-1945 | |||||||
現代 | 朝鮮人民共和国 1945 連合軍軍政期 1945-1948 | |||||||
アメリカ占領区 | ソビエト占領区 | |||||||
北朝鮮人民委員会 | ||||||||
大韓民国 1948- |
朝鮮民主主義 人民共和国 1948- | |||||||
Portal:朝鮮 |
馬韓(ばかん)は、紀元前2世紀末から4世紀中葉に、朝鮮半島南部に存在した部族集団である三韓の一つ。帯方郡の南、黄海に接し、東方は辰韓(後の新羅)、南方は弁韓に接していた。後の百済と重なる場所にあった地域である。
馬韓人は定住民であり、穀物を植え、養蚕を行っていた。それぞれの馬韓諸国には首長がおり、大きな首長を臣智(しんち)と言い、それに次ぐものを邑借(ゆうしゃく)と呼んだ。
集落に城郭は無く、五十余国が存在した。通説では、その内の伯済国がのちに百済になったと考えられている。
『後漢書』辰韓伝、『三国志』魏書辰韓伝によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦の遺民がおり、馬韓人はその東の地を割いて、彼らに与え住まわせたという。また、『三国志』魏書弁辰伝によると、馬韓人と辰韓人は言語が異なっていたという。
『三国遺事』[2]によると、「魏志云。魏滿撃朝鮮。朝鮮王準率宮人左右。越海而南至韓地。開國號馬韓。」
『魏書』[3]によると、「侯準既僭號稱王,爲燕亡人衛滿所攻奪,將其左右宮人走入海,居韓地,自號韓王。」
『後漢書』には「初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。(初め、朝鮮王準が衛満に滅ぼされ、数千人の残党を連れて海に入り、馬韓を攻めて、これを撃ち破り、韓王として自立した。)」と記されており、衛満が箕子朝鮮を滅ぼした際に箕子朝鮮の最後の王、準王は数千人を率いて逃亡し、馬韓を攻め落として韓王となって馬韓を支配した。
- 羅州福岩里鍾村古墳,羅州福岩遺跡[4]
- 感奚国(朝鮮語版)
- 監奚卑離国(朝鮮語版)
- 乾馬国(朝鮮語版)
- 古臘国(朝鮮語版)
- 古離国(朝鮮語版)
- 古卑離国(朝鮮語版)
- 古爰国(朝鮮語版)
- 古誕者国
- 古蒲国(朝鮮語版)
- 狗盧国(朝鮮語版)
- 臼斯烏旦国
- 狗素国(朝鮮語版)
- 狗奚国
- 内卑離国
- 怒藍国
- 大石索国
- 莫盧国
- 萬盧国
- 牟盧卑離国(朝鮮語版)
- 牟水国
- 目支国(朝鮮語版)
- 伯済国
- 辟卑離国
- 不彌国
- 不斯濆邪国(朝鮮語版)
- 不雲国
- 卑離国
- 卑彌国
- 駟盧国(朝鮮語版)
- 桑外国
- 小石索国
- 素謂乾国
- 速盧不斯国
- 臣濆活国
- 臣蘇塗国
- 臣雲新国
- 臣国
- 兒林国
- 如來卑離国(朝鮮語版)
- 冉路国(朝鮮語版)
- 優休牟涿国(朝鮮語版)
- 爰襄国
- 爰池国
- 一難国
- 一離国
- 日華国
- 臨素半国
- 咨離牟盧国
- 支半国
- 支侵国
- 捷盧国
- 楚離国
- 楚山塗卑離国(朝鮮語版)
- 致利鞠国