1665年 - Wikipedia
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千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 16世紀 - 17世紀 - 18世紀 |
十年紀: | 1640年代 1650年代 1660年代 1670年代 1680年代 |
年: | 1662年 1663年 1664年 1665年 1666年 1667年 1668年 |
1665年(1665 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
- 干支 : 乙巳
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2207年 - 2208年
- イスラム暦 : 1075年 - 1076年
- ユダヤ暦 : 5425年 - 5426年
- ユリウス暦 : 1664年12月22日 - 1665年12月21日
- 9月17日 - カルロス2世がスペイン王に即位。
- 第二次英蘭戦争(-1667年)。
- イングランド、ペスト大流行(ロンドンの大疫病)。
- ロバート・フック、『顕微鏡図譜』を刊行。[1]初めて「細胞」(Cell)という言葉が使用される。
- ジョヴァンニ・カッシーニ、木星の大赤斑を発見。
- この頃、ヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」描かれる。
- アイザック・ニュートンが万有引力、二項定理を発見。
- 8月21日(寛文5年7月11日) - 江戸幕府が諸宗寺院法度(寺院・僧侶統制)・諸社禰宜神主法度(神社・神職統制)を発布[要出典]。
- 12月12日(寛文5年11月6日) - 蝦夷地松前藩、第5代藩主松前矩広が襲封。
- 山鹿素行が『聖教要録』を著す。朱子学を批判した本書の刊行の罪で、翌年、保科正之により素行は赤穂へ配流。
- 2月6日 - アン女王、グレートブリテン王国女王(+ 1714年)
- 2月12日 - ルドルフ・ヤーコプ・カメラリウス、植物学者(+ 1721年)
- 3月5日(寛文5年1月19日) - 三宅石庵、儒学者(+ 1730年)
- 3月16日 - ジュゼッペ・マリア・クレスピ、画家(+ 1747年)
- 3月17日 - エリザベト・ジャケ=ド=ラ=ゲール、作曲家、クラヴサン奏者(+ 1729年)
- 5月1日 - ジョン・ウッドワード(John Woodward)、博物学者(+ 1728年)
- 5月12日 - マグヌス・ステンボック、軍人(* 1717年)
- 5月12日 - アルベルトゥス・セバ、動物学者(+ 1736年)
- 8月21日 - ジャコーモ・フィリッポ・マラルディ、天文学者、数学者(+ 1729年)
- 10月4日(寛文5年8月26日) - 徳川綱教、紀州徳川家第3代藩主(+ 1705年)
- ニコラウス・ブルーンス、作曲家、オルガニスト(+ 1697年)
- チャールズ・ギルドン(Charles Gildon)、作家(+ 1724年)
- 1月10日(寛文4年11月24日) - 山内忠義、土佐藩第2代藩主(* 1592年)
- 1月12日 - ピエール・ド・フェルマー、数学者、弁護士(* 1607年 - 1608年頃)
- 1月31日 - ヨハネス・クラウベルク(Johannes Clauberg)、神学者(* 1622年)
- 2月16日 - ステファン・ツァルニエツキ(Stefan Czarniecki)、軍人(* 1599年)
- 5月31日 - ピーテル・ヤンスゾーン・サーンレダム(Pieter Jansz Saenredam)、画家(* 1597年)
- 8月15日(寛文5年7月5日) - 松前高広、蝦夷地松前藩第4代藩主(* 1643年)
- 9月17日 - フェリペ4世[2]、スペイン国王(* 1605年)
- 9月22日(寛文5年8月14日) - 伊奈忠克、関東郡代(* 1617年)
- 11月10日 - ザムエル・カプリコルヌス、作曲家(* 1628年)
- 11月19日 - ニコラ・プッサン、フランスの画家(* 1594年)
- 12月10日 - タルクィニオ・メールラ、作曲家、オルガニスト、ヴァイオリニスト(* 1594年/1595年)
- アン・ルーニー 著、立木 勝 訳『物理学は歴史をどう変えてきたか 古代ギリシャの自然哲学から暗黒物質の謎まで』東京書籍、2015年8月18日。ISBN 978-4-487-80929-5。
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