1812年 - Wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
十年紀: | 1790年代 1800年代 1810年代 1820年代 1830年代 |
年: | 1809年 1810年 1811年 1812年 1813年 1814年 1815年 |
1812年(1812 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる閏年。
この節は、ウィキプロジェクト 紀年法のガイドラインに基づいて記述されています。この節に大きな変更を加える場合には、あらかじめ上記プロジェクトのノートで提案し、合意を形成してください。
凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
- 干支 : 壬申
- 日本(寛政暦)
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2354年 - 2355年
- イスラム暦 : 1226年12月16日 - 1227年12月26日
- ユダヤ暦 : 5572年4月16日 - 5573年4月28日
- ユリウス暦 : 1811年12月20日 - 1812年12月19日
- 修正ユリウス日(MJD) : -17122 - -16757
- リリウス日(LD) : 83719 - 84084
- 2月11日 - 米国でマサチューセッツ州知事エルブリッジ・ゲリーがゲリマンダーを考案
- 2月27日 - バイロン卿が貴族院議員としてラッダイト運動弾圧反対の演説を行う
- 3月26日 - ベネズエラで地震(死者2万人)
- 4月4日 - 米マディソン大統領が英国と90日間の禁輸を命令
- 4月30日 - 米国でルイジアナが18番目に州となる
- 5月11日 - 英パーシヴァル首相が暗殺される
- 5月28日 - 露土戦争 : ブカレスト条約 (1812年)調印により終結
- 6月1日 - 米英戦争: 米マディソン大統領が英国への宣戦を議会に諮問
- 6月8日 - 第2代リヴァプール伯爵ロバート・ジェンキンソン内閣が成立(-1827年)
- 6月18日 - 米英戦争: 米国が英国に宣戦布告
- 6月23日 - 1812年ロシア戦役: ナポレオン率いる大陸軍がネマン川を渡河
- 7月12日 - 米英戦争: 米軍がウィンザー (オンタリオ州)に侵攻
- 8月19日 - 米英戦争: 米艦コンスティチューションが英艦ゲリエールを破壊
- 9月7日 - 1812年ロシア戦役: ボロジノの戦い
- 9月14日 - 1812年ロシア戦役: ナポレオン軍が空のモスクワに入城
- 10月5日-11月10日 - イギリスで総選挙(英語版)。
- 10月13日 - 米英戦争: 米軍がクィーンストン・ハイツの戦いで英国カナダ軍に敗北
- 10月18日 - 1812年ロシア戦役: ポロツクの戦い
- 10月19日 - 1812年ロシア戦役: ナポレオン軍がモスクワからの撤退を開始
- 10月24日 - 1812年ロシア戦役: マロヤロスラベツの戦い
- 11月3日 - 1812年ロシア戦役: ビャジマの戦い
- 11月5日 - 米大統領選挙でジェームズ・マディソンが再選
- 11月15日 - 1812年ロシア戦役: クラスノイの戦い(〜11月18日)
- 11月26日 - 1812年ロシア戦役: ベレジナ川の戦い(〜11月29日)
- 12月20日 - グリム兄弟「グリム童話」第1巻出版
- 1月12日 - エルコレ・デンボウスキー、天文学者(+ 1881年)
- 2月5日 - ジョルジュ・ダンテス、元老院議員(+ 1895年)
- 2月7日 - ディケンズ、イギリスの小説家(+ 1870年)
- 2月16日 - ヘンリー・ウィルソン - 第18代アメリカ合衆国副大統領(+ 1875年)
- 2月17日(文化9年1月5日) - 有栖川宮幟仁親王、皇族(+ 1886年)
- 3月12日 - ジョゼフ・プレストウィッチ、地質学者・実業家(+ 1896年)
- 4月6日 - ゲルツェン、ロシアの文学者、革命思想家(+ 1870年)
- 4月15日 - テオドール・ルソー、フランスのバルビゾン派画家(+ 1867年)
- 4月18日(文化9年3月7日) - 白石正一郎、豪商(+ 1880年)
- 4月27日 - フリードリッヒ・フォン・フロトー、作曲家(+ 1883年)
- 5月7日 - ロバート・ブラウニング、詩人(+ 1889年)
- 5月12日 - エドワード・リア、画家・詩人(+ 1888年)
- 6月9日 - ヨハン・ゴットフリート・ガレ、天文学者(+ 1910年)
- 6月18日 - イワン・ゴンチャロフ、ロシアの作家(+ 1891年)
- 6月21日 - モーゼス・ヘス、哲学者(+ 1875年)
- 8月17日(文化9年7月11日) - 松平忠固、老中(+ 1859年)
- 9月25日 - ジャン=バティスト・サンジュレー、作曲家・指揮者(+ 1875年)
- 12月23日 - 左宗棠、清末の政治家(+ 1885年)
- 12月23日 - スマイルズ、スコットランド生まれのイギリスの作家、医師(+ 1904年)
- 12月28日 - ユリウス・リーツ[1]、指揮者・チェリスト・作曲家(+ 1877年)
- 日付不明 - 橘曙覧、歌人(+ 1868年)
- 3月20日 - ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク[2]、作曲家、ピアニスト(* 1760年)
- 4月20日 - ジョージ・クリントン、第4代アメリカ合衆国副大統領(* 1739年)
- 5月13日 - ヨハン・マティーアス・シュペルガー、作曲家、コントラバス奏者(* 1750年)
- 6月 - リチャード・カーワン、科学者(* 1733年)
- 7月25日(文化9年6月17日) - 諏訪忠厚、信濃国諏訪藩藩主(* 1746年)
- 9月12日 - ピョートル・イワノヴィッチ・バグラチオン、ロシアの将軍(* 1765年)
- 9月21日 - エマヌエル・シカネーダー、劇作家、俳優(* 1751年)
- 日付不明 - 趙翼、考証学者(* 1727年)
- 日付不明 - マリー・アレル、カマンベールチーズ発明者(* 1761年)
- ^ Dwight, John Sullivan (October 27, 1877). “Dr. Julius Rietz.”. Dwight's Journal of Music: A Paper of Art and Literature 37 (15): 113.(『ロンドン・ミュージカル・タイムズ』誌の訃報欄からの抜粋)
- ^ Jan Ladislav Dussek Bohemian pianist and composer Encyclopædia Britannica
ウィキメディア・コモンズには、1812年に関連するカテゴリがあります。
- 年の一覧
- 年表
- 年表一覧
- 1812年 (序曲) - 1812年ロシア戦役をテーマとしたチャイコフスキーの管弦楽曲