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日本舞踊(ニホンブヨウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

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  • ️Thu Jan 16 2014

日本舞踊 (にほんぶよう)

邦舞また日舞ともいう。西洋舞踊に対する語で,広義には日本で行われる舞踊として,古代の舞踊,伎楽(ぎがく),舞楽(ぶがく),能,民俗舞踊,歌舞伎舞踊,新舞踊等すべての舞踊の総称となる。しかし狭義では歌舞伎舞踊を指し,ふつう,これが一般的用語となっている。〈舞踊〉という語はまわるという意味の〈(まい)〉とおどり上がるという意味の〈踊り〉という語を合成したもので,1904年坪内逍遥が《新楽劇論》中で用いたのが最初といわれる。

歴史

日本における舞踊の初めは,招魂(たまふり)・鎮魂(たましずめ)の呪術としての神楽にあり,以後,大和舞(やまとまい),楯臥舞(たてふしまい),隼人舞(はやとまい),久米舞(くめまい),古志舞(こしまい),吉士舞(きしまい),殊舞(たつつまい),田舞(たまい),五節舞(ごせちのまい),東遊(あずまあそび)などが行われた。奈良時代には中国より,伎楽舞楽散楽(さんがく)が渡来。伎楽は,呉の国の楽舞で,日本では仏教儀式の一種の仮面舞踊劇となった。舞楽はもと唐,天竺(インド),林邑(りんゆう)(ベトナム中部)や渤海(ぼつかい)(中国東北部),朝鮮から渡来した楽舞で,平安時代に宮廷舞踊として,左舞(さまい)と右舞(うまい)とに編成し,これに創作を加えて日本独自の舞踊として完成させた。

 平安末期から鎌倉時代にかけては寺院のなかに延年(えんねん)の舞が行われ,また田植の行事から発し,散楽の影響をうけた田楽(でんがく),またその散楽から猿楽が生まれ,室町時代にいたって楽劇としてのの完成をみた。そのほか戦国時代,武将の間でもてはやされたもので,物語につれて舞う幸若舞(こうわかまい),曲舞(くせまい),白拍子(しらびようし)と呼ばれた遊女の白拍子舞があった。

 室町時代末期からは民衆の勃興にともない,風流踊(ふりゆうおどり)と呼ぶ集団舞踊が盛んになり,きらびやかな装いで,作り物で頭を飾り,笛や鼓,歌等につれて街頭に出て踊り,民衆のエネルギーを爆発させた。これは舞から踊りへの移行を意味した。念仏踊(踊念仏)はそのうちの主なるものだったが,出雲のお国はこの念仏踊に〈かか踊〉〈ややこ踊〉などを交えて舞台芸術化し,かぶき踊を創始した。以後,女歌舞伎,若衆歌舞伎,野郎歌舞伎と変遷していくなかで,舞や振りという物まね的要素をとり入れて発展させた。そして女方の発生により舞踊の中心は女方に移って,元禄(1688-1704)~享保(1716-36)期に歌舞伎舞踊は第1次の完成をみた。この間に右近源左衛門の《海道下り(かいどうくだり)》,水木辰之助の〈槍踊(やりおどり)〉や《七化け(ななばけ)》などが生まれ,《七化け》は変化(へんげ)舞踊(変化物)の先駆をなした。

 享保から宝暦(1751-64)には,初世瀬川菊之丞と初世中村富十郎が《無間の鐘(むけんのかね)》《石橋(しやつきよう)》《娘道成寺》などの名作を生み,女方舞踊を完成させた。また従来の長唄の伴奏以外に豊後節系の常磐津節・富本節,おくれて清元節など劇場音楽が発達し,物語的な舞踊劇の浄瑠璃所作事が完成,同時に演者も立役や敵役にまで広がって,初世中村仲蔵による《関の扉(せきのと)》《戻駕(もどりかご)》《双面(ふたおもて)》の作を生んだ。江戸後期には3世中村歌右衛門,3世坂東三津五郎を中心に変化物の上演が盛んになり,バラエティに富んだ小品舞踊の曲を組み合わせて,早替り,引抜きなどの技法によって1人で何役も踊り分けた。今日に残る歌舞伎舞踊の大部分はこの変化物の一部が独立したものである。

 明治期に入ると演劇改良運動の風潮にのって卑俗な内容を排し,高尚化が叫ばれ,能や狂言に取材した松羽目物(まつばめもの)が作られ,《船弁慶》《紅葉狩》《素襖落(すおうおとし)》などが作られた。また一方坪内逍遥は,1904年国劇刷新の立場から,ワーグナーの楽劇に範を求めた《新楽劇論》を発表して,新舞踊劇論を展開し,みずから《新曲浦島》等の作品を書いた。しかし理想が高すぎ,規模があまりに壮大だったため実現せずに終わった。しかし大正に入ると,逍遥のまいた種は新舞踊運動となって展開,藤蔭静枝(藤蔭静樹)の〈藤蔭会(とういんかい)〉,五条珠実(1899-1987)の〈珠実会〉,花柳寿美の〈曙会〉など女流舞踊家による新舞踊の会が発足,また2世市川猿之助,5世中村福助の〈羽衣会〉,2世花柳寿輔の〈花柳舞踊研究会〉なども新しい動きをみせた。

種類と流派

歌舞伎舞踊は大きく〈儀式舞踊〉〈劇舞踊〉〈風俗舞踊〉の3種に類別できるが,また題材別に見ると,〈祝儀物〉〈三番叟物〉〈道成寺物〉〈石橋物(獅子物)〉〈浅間物(あさまもの)〉〈狂乱物〉〈変化物〉〈松羽目物〉等になる。また伴奏音楽からすると,長唄物と浄瑠璃物に大別でき,後者は常磐津,富本,清元が中心で,〈浄瑠璃所作事〉〈大切(おおぎり)浄瑠璃〉と呼ばれている。

 また江戸の劇場で発達した歌舞伎舞踊に対し,京坂では座敷を中心に発達した。これを上方舞と呼び,とくに京都で成立したものを京舞という。また地唄を伴奏とするため地唄舞ともいわれる。舞を基本とし,能の舞や人形振り,歌舞伎の振りを加えて完成させたもので,静的な象徴的な味わいに特色をもつ。

 流派と家元制度は日本舞踊の特質のひとつで,江戸時代に劇場に付属した振付師から出たもの,俳優の家から出たもの,また諸大名に抱えられた〈御狂言師〉から出たものなどさまざまある。それぞれ特色と伝統があり,家元を中心に門弟とそのなかから出た〈名取〉によってその特色の維持にあたっている。しかし流派はまた新しい流派や分派を生み,宗家,分家家元などの名称も生じており,現在流派の数は150を超え,今後ますます分派していく傾向にある。

 振付師から出た流派では,志賀山万作を流祖とする志賀山流,江戸の振付師藤間勘兵衛から出た藤間流,西川仙蔵を祖とする西川流,幕末期から明治にかけて活躍した初世花柳寿輔が開いた花柳流,若柳吉松の若柳流や,市山七十郎の市山流等がある。また俳優の家から出たものに3世中村歌右衛門を初世とする中村流があり,同じ中村流を名のるものに,初世中村富十郎を祖とするもの,中村弥八(1703-77)を祖とする虎治派,3世坂東三津五郎より出た坂東流があり,そのほか水木流,岩井流,市川流,尾上流等がある。さらに新舞踊からも新流派はあり,藤蔭流,五条流,林きむ子(1886-1967)の林流,西崎緑の西崎流がある。

 上方舞では篠塚文三郎(?-1845)を祖とする篠塚流,井上八千代の井上流,山村友五郎による山村流,楳茂都(うめもと)扇性の楳茂都流,吉村ふじ(?-1909)の吉村流等がある。
歌舞伎舞踊
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