細川護久(ホソカワ モリヒサ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「細川護久」の解説
細川 護久
ホソカワ モリヒサ
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
朝日日本歴史人物事典 「細川護久」の解説
細川護久
生年:天保10.3.1(1839.4.14)
熊本藩2代目知藩事。父は第12代肥後藩主細川斉護,母は延。長岡澄之助と称し,合翠と号す。明治1(1868)年1月議定職,翌年参与職。明治3年5月,兄韶邦に代わって熊本藩知事となり,大参事の弟護美と共に藩政改革を推進。雑税約9万石の廃止,熊本城破毀,藩議院設置など当時としては最も進歩的な政策がとられたが,その担い手となったのは横井小楠門下で下級武士出身の山田武甫・嘉悦氏房,豪農竹崎律次郎・徳富一敬らであった。現在10基が確認される「知事塔」は,領民がこの改革に感謝して建てたものとされている。また同4年には古城医学校と熊本洋学校を設立して,開明的な教育に力を入れた。侯爵,貴族院議員。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報