荒木元清(あらきもときよ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「荒木元清」の意味・わかりやすい解説
朝日日本歴史人物事典 「荒木元清」の解説
荒木元清
生年:天文4(1535)
安土桃山・江戸前期の馬術家。重元の子で,摂津国(兵庫県)の人。志摩守と称す。同族の荒木村重に属して,城攻め野戦の功が多かった。のち純粋に馬術を修練することを志したと思われ,大坪流の斎藤好玄より,弓術を伴わない馬術を学び,新たに自分の名を冠して荒木流を創始した。天正8(1580)年花隈城落城後,豊臣秀吉に仕え,豊臣秀次事件(1595年)に座して遠流に処せられた。秀吉の死後は京都に住した。荒木流の道統は4男の十左衛門元満が継いだ。<参考文献>日夏繁高『本朝武芸小伝』(新編武術叢書)
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