1995年1月17日午前5時46分、神戸、芦屋、西宮、淡路島の北部を中心に震度7の地震が襲った。ゴーッという地響きで目をさました次の瞬間、激しい揺れにみまわれた。
私は長女と並んでシングルのベッドで寝ていたが、その2つのベッドがまるで拍子木にように、ガンガンとぶつかり、隣の家屋の屋根瓦のすべてが滑り落ち、我が家の壁に激突する音は、まるで飛行機が墜落したのかというような音。隣の家は全壊であった。我が家や新築3か月であったが、早くも亀裂がはいってしまった。
それも、その筈、いろいろなことがわかってくると、近所で高速道路から、バスがぶら下がっている。
亀裂程度で済んだのは、不幸中の幸いだったのだ。
私の人生は、この地震で大きく変わったとおもう。いい意味でも、悪い意味でも・・・悪い意味はおいておこう。
いい意味では、「癒し」に日本中の人々の目が向いたということだ。
ボランティアが、大挙して被災地に向かったのもこれが最初の大事件であった。
アロマが進むべき方向、それはホビーなのか、医療なのか、方向性は定まっていない時期にあって、
「癒し」という方向性を得たのもこの災害が、あったからこそとも思う。
その震災においての忘れられないことは、ボランティア活動の芽生えである。
日本人がボランティアに目覚めた事件といって過言ではないが、まだまだ独りよがりで未熟なレベルであったことは否定できないだろう。
その思い出のひとつ、フレグランスジャーナル社の津野田社長から、アロマや化粧品関係者からのお見舞いを届けたいが、林さんに送ったら必要な人に届けてくれるかと電話があった。
私は、仮設のお風呂で使う石鹸をおねがいしたところ、石鹸や入浴剤などが送られてきた。
全国から、被災地に何か役に立ちたいという思いで、物資が山のように送られてくる。
古着やスニーカー、タイ米など、だれも見向きもしないような、なかば粗大ごみ同然のものも多かった。
私は青年会議所のメンバーとして、体育館いっぱいになった物資を整理する仕事をしていた。
いつまでたっても、使いようのないものが山ほど送られてきては、無造作に積み上げられ、小中学生は
秋になっても体育の授業もできないありさまだった。
送る側の思いと、受け取る側の思いがまったく噛み合ってない状況で、山積みされた物資を前に途方に暮れる毎日だった。
ある日、あの津野田社長から、「林さん、石鹸を送った方がたに手紙でもなんでもお礼をおねがしします。何も言ってこないと怒ってらっしゃるかたもいるので。。。」との電話がはいった。
このときの、私の気持ちは、あえて書きたくない。読者の方が察してくださるに違いない。
私は広告費をつかってアロマトピアにお礼の広告を、寄付してくださった会社の名前を入れて気持ちをあらわした。この支援において、私のバランスシートは完全にマイナスであった。
また、支援者であるボランティアと、被災した私の間に挟まれて苦労されたのは津野田社長だったにちがいない。
テレビでは、被災地に行ってきたというタレントたちの武勇伝が語られる。
一方で被災者には、被災後の人知れない苦労がさらに追い打ちをかけてくる。
誰のための支援なのか??? わからなくなるばかりだった。
3.11の震災のことをみて、日本社会はずいぶん成熟したものだとおもう。神戸の教訓がいかされているとおもった。支援はお金で。(配られ方は問題だけれど)ボランティアは組織化され、職人的なたくましさすら感じるようになった。
震災から1年ほどが過ぎ、「兵庫県こころのケアセンター」からライブラに電話が入った。
仮設に一人住まいのお年寄りを相手に、アロマテラピーの授業をやってくれないか?
という、依頼だった。
お年寄りに、しかもアロマのオイルとは無縁とも思われる人々に何ができるだろうか?
私は悩んだ。自らの経験で身に染みているように、独りよがりなものになってはいけない。
そう思った。
私は、悩んだ末に、一人で行くのではなく、アロマの教室に通う生徒さんたちを巻き込むことにした。
ボランティアを募って、グループでアロマのハンドとフットのトリートメントを行うことにした。
はじめに私がアロマについての簡単なレクチャーを15分程度して、そのあと、お年寄りたちの手や足に触れ、さわるのである。
すると、「あー気持ちいいなー」「こんな若い人にやってもらって悪いな、でもうれしい」とか、
いろいろな反応。おおむねいい反応だった。
依頼をした側のこころのケアセンターの職員である保健師の方々からも、「こんな、おばあちゃんたちの姿はじめて」とか、「いつも、黙っている人がしゃべってくれた」とか、感激して私に話しかけてくれた。
お年寄りの中には、ボランティアの足をさすってくれる人さえもいて、いつも受ける側に回る被災者が
あえてボランティアのために行動することで、自尊心を回復することも分かった。
これは、アロマのパワーを実感したイベントであった。このイベントは好評で、そのあとも4,5回お呼びがかかることになり、何度も生徒さんたちの協力を得て、なんとかやりきった。
このとき、気づいたのは、カウンセリングとか、心のケアとかいう理屈には、いつも話を聞くという態度が大切といわれるが、その方法論で行き詰っていた仮設住宅のケアが、アロマとタッチング(香り、触れる)という要素で現実、成果があがるものになるということだった。これは、アロマ史上とても大きな発見である。
これは、のちにNYの同時多発テロ現場へのセラピストの派遣をしたIFAや、3.11にも引き継がれることになる。
この経験は、後に作られる、日本アロマテラピー協会のインストラクター資格にも生かされた。
いまのインストラクターカリキュラムのなかにある、「ボランティア論」「タッチング論」は、この私たちの経験から組み入れられたものである。
ボランティアはどうあるべきなのか???
タッチングは、人の心をいやすかもしれない!!
そんなことを、あの混乱の中、学んだような気がするのである。