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「春夏連覇と口では言っていたが…」健大高崎・箱山遥人が語る甲子園

  • ️毎日新聞
  • ️Wed Jan 15 2025
高校野球生活を振り返る健大高崎の箱山遥人選手=群馬県高崎市で2024年11月19日、三浦研吾撮影
高校野球生活を振り返る健大高崎の箱山遥人選手=群馬県高崎市で2024年11月19日、三浦研吾撮影

 主将としての重圧、センバツで初の頂点、ドラフト指名漏れ――。健大高崎(群馬)の箱山遥人(はると)捕手(18)は春の甲子園に2度出場し、2024年の選抜大会では主将として初優勝に貢献した。世代屈指の「打てる捕手」として注目を浴び、持ち前のリーダーシップでチームを引っ張った高校生活。激動の3年間をロングインタビューで振り返った。

「最高だったな」

 ――24年選抜大会決勝は、前年に初戦となった2回戦で敗れた報徳学園(兵庫)との再戦でした。初優勝の瞬間は今でも覚えていますか。

 ◆初めて戦う相手という感じでした。なんだか必死すぎてあまり覚えていなくて。おそらく「落ち着け」とか「普段通りいくぞ」とか、そんなことしか言っていなかったです。うまく表現できないんですけど、最高だったなって思います。(最後の打者は)空振り三振だったと思います。ファウルチップで、ちょっとカチッて音が鳴ってミットに収まりました。後はもう覚えていなくて。とにかくもうグラウンドに皆が集まっていました。

 ――主将として優勝旗を手にしました。

 ◆めちゃくちゃ重かったです。とにかく重すぎて、前腕がつってしまって、「痛い」って思いしかなかったです(笑い)。

 ――どんなチームでしたか。

 ◆打線がつながらず、打撃で本領を発揮できなかったんです。ただ、守備の面では、しっかりと守れるチームを作ってきました。かなりレベルアップした状態で入ることができました。

 ――出身の東京都から群馬県の健大高崎に進学しました。

 (健大高崎は)バッティングがすごいというイメージがありました。キャッチャーで活躍している健大高崎出身の選手が大学、社会人、プロにいたのも決めた理由です。

 ――23年の選抜大会は2年生ながら「4番・捕手」として出場しました。報徳学園との初戦は、2人の投手陣をリードしながら、打撃でも3打数2安打1打点の活躍でした。

 ◆初めて甲子園に入った時は「すごくきれいで、これが甲子園なんだあ」って新鮮な感覚でした。(試合をして)甲子園の空気感を知ることができたと思います。応援の雰囲気もそうですし、(球場の)景色も違いました。初めての甲子園で自分は下級生だったので、割と楽しめたと思います。もっとやりたかったなと思えました。

 ――新チームでは主将を任されました。

 ◆チーム内でも自分しかいないという雰囲気だっ…