「最後まで野球少年」西鉄ライオンズ〝怪童〟中西太さん、〝アベボール〟安部和春さんを「しのぶ会」 竹之内雅史OB会長ら出席:「おっ!」でつながる地元密着のスポーツ応援メディア 西スポWEB OTTO!
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今年相次いで亡くなったプロ野球西鉄ライオンズの中心打者、中西太さん(5月11日に90歳で死去)と、主力投手だった安部和春さん(3月25日に82歳で死去)を「しのぶ会」が3日、福岡市で開かれた。福岡時代のライオンズを顕彰するNPO法人西鉄ライオンズ研究会(内山純男会長)が開いた。西鉄ライオンズOB会の竹之内雅史会長ら関係者約50人が参加、2人の勇姿を振り返りつつ、思い出を語り合った。
会の冒頭、内山会長が「(西鉄最後の)リーグ優勝をした1963年の監督と胴上げ投手を同時に失い、悲しいの一語に尽きる。中西さんは西鉄ライオンズそのもの。安部さんも研究会にご尽力いただいた。まだ信じられない」とあいさつ。往時の打撃フォームや投球フォームの写真を見ながら、2人がライオンズに残した足跡をたどった。
ライオンズ黄金期の三塁手だった中西さんは、香川・高松一高から52年に入団して新人王に。「怪童」の愛称で親しまれ、56年からの3年連続日本一に貢献した。本塁打王5度、首位打者2度、打点王を3度獲得。引退後は日本ハム、阪神で監督を務め、近鉄、オリックスではコーチとして西鉄時代の後輩の仰木彬監督を支えた。99年に野球殿堂入りした。
68年の入団時、中西さんが監督だった竹之内さんは「私も当時、中西2世と新聞に書かれていた」と笑顔でエピソードを披露。78歳の今も羽衣国際大(堺市)の硬式野球部総監督として学生たちの指導に当たっており、「中西さんは監督兼任選手だったが、自分のことをやり遂げてから私たちの指導に全力を注いでくれた。そのすごさに引きつけられた。私が今も指導者でいられるのは、中西さんの教えがあったから」と感謝の思いを語った。
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