MSCIの渡部氏が日経SDGsフェスに登壇。カーボン・クレジット市場の透明性を⾼め、気候変動リスクを管理し、環境技術の市場機会を⾒いだすために不可⽋な気候関連データや分析ツール、最新動向を紹介した。
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⽇経SDGs/ESG会議
〜SX/GXとサステナブルファイナンスで
実現する競争優位とネット・ゼロ〜
ファイナンス、エネルギー、
⼈的資本とESG経営
気候変動のリスクと機会を
可視化して脱炭素を加速
MSCI
Vice President, ESG & Climate Research
渡部 健司 氏
COP29では、国際的な気候変動緩和策の1つとして期待されるカーボン・クレジット市場のルール形成に進展が⾒られた。カーボン・クレジット市場の透明性を⾼め、気候変動リスクを管理、環境技術の市場機会を⾒いだしていくために不可⽋な気候関連データや分析ツール、最新のリサーチについて紹介する。
国際的な気候変動対策の枠組み「パリ協定」で⽬指す、産業⾰命前から気温上昇を1.5℃に抑える⽬標を達成するための時間がなくなってきている。21世紀末の世界平均気温の上昇を1.5℃程度に抑えることが目標とされているが、2024年の世界の平均気温の上昇幅は1.5℃を超えたとされる。国連環境計画が年次で発表しているカーボン・バジェットを分析しても、1.5℃⽬標の達成に向けた猶予期間は数年以内であることが分かる。
気候変動の影響が加速度的に増⼤する中、企業や投資家は気候変動リスクを適切に評価し、対応することが不可⽋だ。MSCIは気候変動ソリューションとして、企業の排出量データ、排出削減⽬標、⽬標の信頼性評価モデル、気候変動シナリオ分析ツールなどを提供しており、これらを活⽤することで企業や投資家はリスクへの理解を深め、戦略的対応を図ることができる。特にシナリオ分析ツール「気候バリューアットリスク(Climate Value-at-Risk)」は、気温上昇のシナリオごとに発⽣する物理的リスクを試算している。
気温の上昇が2℃まで続いた場合、1.5℃のシナリオと⽐べてアジア太平洋地域の企業が直⾯する物理的リスクは25%以上上昇する可能性がある。さらに気温の上昇が3℃まで進んだ場合は、物理的リスクの量は1.5度のシナリオと⽐べて3倍に上昇する。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が予測するRCP8.5のシナリオでは最悪の状況で5℃まで気温が上昇し、企業が受ける異常気象による経済的損失は5倍に跳ね上がる⾒込みだ。
欧⽶と⽐べて、アジア太平洋地域では沿岸部で商業活動を⾏っている企業が多い。沿岸部では、海⾯上昇が起きたときに洪⽔の激甚化が⾒込まれる。また、気温や湿度、輻射熱を考慮したWet Bulb Globe Temperatureと呼ばれる暑さ指数を使って気温上昇のリスクを評価した場合、猛暑による経済的な損失が⼤きくなると予想される。
気温の上昇を抑えるためには、温室効果ガスの排出削減が必要になる。企業による排出量の開⽰は排出削減対策の第⼀歩であり、⽇本の⼤企業の80%以上がスコープ1と2、またスコープ3のいずれかのカテゴリーからの排出量を開⽰している。しかし、中⼩企業における開⽰率は34%にとどまり、⼤企業との差は顕著だ。この差を埋めるには、政府による開⽰基準の統⼀化や投資家によるエンゲージメントが重要だ。また、⼤企業が取引先の中⼩企業に排出量開⽰を含めた気候変動対策の要請や⽀援を⾏い、サプライチェーン全体での排出量削減を⽬指す取り組みも求められる。
排出量開⽰と削減⽬標
温室効果ガスの排出削減には、環境技術の⾰新と市場展開の「スピード&スケール」を加速させることが重要だ。⽇本企業は⾃動⾞関連の省エネ技術、特にハイブリッド⾞や燃料電池⾞で競争優位性を持ち、スケールを拡⼤させるのに良い位置に付けている⼀⽅で、現在開発のスピードを加速させている⽔素技術や⼩型の蓄電池など次世代技術の分野では収益化が課題になっており、規模の拡⼤が難航している。再⽣可能エネルギー分野では、中国企業が台頭してきている。これまで⽇本が先⾏していたペロブスカイト太陽電池についても⾼い発電効率を達成する最新技術を研究しており、超高圧電力網を開発し、遠隔地で生成された再生可能エネルギーを都市部へ送電することにも⼒を⼊れている。また、中国企業は、規模の経済を⽣かして⼤量⽣産を⾏い、環境技術展開のスケールを拡⼤させている。⽇本でも⽔素燃料の活⽤に向けた開発を加速させている企業が多いが、収益化できていない点がスケールを拡大させる上で課題となっている。⽇本企業がグローバル競争で優位性を維持するためには収益化モデルの確⽴が不可⽋だ。
収益化モデルについて、MSCIは「エネルギー・トランジション・モデル」の開発を進めている。既存の技術と環境技術を⽐較し、どの程度の脱炭素効果があるか、環境技術に価格の競争⼒があるか、あるいは今後5年間に価格競争⼒を持つ可能性があるか、設備投資にかかる費⽤はどの程度か、設備投資を⾏なってから⽣産を開始するまでリードタイムはどれくらい必要かなどを評価する。
このモデルではサプライチェーンの強靭性も⾒ている。環境技術の製造過程に必要な原材料が1つの地域に集中していないか、またその地域に地政学リスクがないかなど個々の環境技術を多⾯的に分析することでその商⽤化の可能性を分析する。エネルギー・トランジション・モデルが完成した際には、改めて発表したい。
カーボンクレジットを評価
温室効果ガスの削減には、環境技術の⾰新と市場展開のスピード&スケールを加速させることが鍵となるが、特に新興国において環境技術の市場展開の規模を拡⼤させるために重要なツールになると考えているのが「カーボンクレジット」だ。カーボンクレジットは⼤きく2つに分かれる。1つは政府が主導して企業に排出枠を設定し、企業が排出枠の余剰分を売買、取引する「キャップ&トレード」だ。
もう1つが「ボランタリー・カーボン・マーケット(⾃主的炭素市場)」で、企業が⾃主的に炭素市場で取引するカーボンクレジットになる。「ベースライン・アンド・クレジット」という⼿法で、まず排出削減プロジェクトが実施される前の基準となる排出量を測定する。そして、排出削減プロジェクトを実施したときの削減分をクレジットとして申請する。排出削減プロジェクトは、カーボン削減系と除去系、また、⾃然系と技術系に分類される。
企業の排出削減⽬標のデータに基づいてMSCIが予測したところ、カーボンクレジットの需要は2050年までに現在より40倍以上に拡⼤する可能性がある。しかし、市場に流通するカーボンクレジットの中には排出削減効果に疑問が残ったり、先住⺠の強制移動を伴ったりするなど排出削減⽅法に問題のある事例も⾒受けられる。カーボンクレジットの⼗全性(Integrity)を向上するには、厳格な認証プロセスや透明性の確保が重要だ。
MSCIは「排出削減効果の⼗全性(emissions impact integrity)」と「排出削減⽅法の⼗全性(implementation integrity)」という2つの側⾯から排出削減プロジェクトを評価し、カーボンクレジットの⼗全性を格付けするモデルを開発している。
前者は、排出削減プロジェクトが適正な排出削減効果があるものかを評価するため、「追加性(additionality)」「定量評価(quantification)」「永続性(permanence)」という3つの評価基準(criteria)がある。
後者には、どのように排出量削減を⾏ったのかを評価するための3つの評価基準がある。「コベネフィット(co-benefit)」はプロジェクトを実施した際に、温室効果ガスの排出削減効果以外にも⽔質改善や⽣物多様性への貢献、現地の雇⽤創出といった複合的な効果があるかどうかを⾒ている。「法規制と倫理規範(Legal & Ethical)」では、プロジェクト実施国における法令順守の状況や倫理違反がないかをモニタリングしている。また「プロジェクトの履⾏リスク(delivery risk)」も評価している。排出削減プロジェクトの資⾦調達を⽀援するために事業の実施前に発⾏されるエクサンティ・クレジット (ex-ante credits)の購⼊契約をするケースも増えている。事業者の過去にクレジットを創出した実績や技術的な専⾨性、また、プロジェクトの資⾦調達状況などから、クレジットの受け渡しリスクも考慮している。
これら6つの主要な評価基準の下には50以上の詳細な基準(sub-criteria)があり、精緻な分析を⾏っている。調査当時流通していた4000以上のカーボンプロジェクトに評価モデルを適⽤して格付けを⾏っている。また、500以上のカーボンプロジェクトが現在パイプラインにあり、今後評価する⼯程に⼊っている。
評価結果を⾒ると、市場に流通するカーボンクレジットのうち、A(シングルA)やAA(ダブルA)といった排出削減効果や排出削減⽅法の⼗全性が⾼いと⾒込まれるカーボンクレジットの量は10%未満に過ぎないことが分かった。⼀⽅で、現在パイプラインにあるプロジェクトは、カーボン除去系のプロジェクトが多いことも分かっており、こうしたカーボン除去系のプロジェクトは排出削減効果や排出削減⽅法の⼗全性が⾼い割合のものが多い。今後、カーボン除去系のプロジェクトが多く実施されることで、⼗全性の⾼いカーボンクレジットの流通量も増えてくる可能性がある。
ボランタリーカーボン市場の倫理規範、持続可能性、⼗全性の基準を確⽴し、維持することを⽬的として設⽴された国際機関がICVCM(The Integrity Council for the Voluntary Carbon Market)だ。ICVCMでは、企業がカーボンクレジットを使⽤する際に、⼗全性の⾼いクレジットを使⽤すること、また、クレジットの使⽤前に⾃社の排出削減を優先することを勧告している。当社では、カーボンクレジットを使っている企業が⾃社の排出量を削減してきたかを調査した。
オールカントリーの⼤型株、中型株、⼩型株を構成銘柄とするMSCI世界株式指数(MSCI ACWI IMI)に含まれる8844社のうち11%に当たる970社がカーボンクレジットの使⽤を気候変動対策に組み込んでいた。カーボンクレジットユーザーの75%が排出削減を実施しており、年間平均排出削減率の中央値も3.6%であった。クレジットを使⽤していない企業における排出削減実施率は60%で、年間平均排出削減率は1.5%であった。カーボンクレジットユーザーの⽅がそうでない企業と⽐べて排出削減を実施している割合、排出削減率共に⾼かった。あらゆる時間軸、シナリオ、また、推計値を⽤いて分析した場合でも同様の結果となり、統計的優位性があることが分かった。また、カーボンクレジットユーザーは排出削減⽬標の設定率も⾼く、SBTIなど外部基準の認定を受けた排出削減⽬標やネットゼロ⽬標を設定している割合が⾼い。サプライチェーン全体での排出削減効果が期待される。
このようにMSCIのデータソリューションを利⽤することで、今まで不透明だった気候変動リスクと機会を可視化できる。透明性が確保された市場は、投資の意思決定を判断しやすくなる。どのカーボンクレジットの⼗全性が⾼いのか、どの排出削減プロジェクトに投資すべきかについても判断できるようになる。
また、気候シナリオ分析モデルの気候バリューアットリスクを使えば、気温上昇ごとのリスクも把握でき、気温上昇シナリオごとの戦略⽴案にも利⽤できる。
現在開発中のエネルギー・トランジション・モデルでは、環境技術ごとの商⽤化の可能性を分析するのに役⽴つデータと分析を提供していく予定だ。企業や投資家に対して脱炭素に向けた有⽤な情報を提供していきたい。