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三川鉱事故50年 苦難の歴史語り継ぎたい

  • ️Tue Nov 13 2007

 458人が亡くなり、一酸化炭素中毒患者も839人を数える戦後最悪の炭鉱事故だった。

 三井三池炭鉱三川鉱(福岡県大牟田市)で炭じん爆発事故が起きて9日で50年を迎える。

 今では事故はおろか、石炭産業自体が忘れ去られようとしているかのようだ。

 だが、私たちは風化に抗して事故を語り継ぎたい。そして事故が提起した教訓を、現代や将来の社会に生かし続けたいと思う。

 事故は過去形ではない。今も17人が同市内で入院生活を続けている。患者や家族の苦労は察するに余りある。患者への医療支援体制は必ずしも十分ではないという。あらためて改善を求めたい。

 節目の日に大牟田市では50年の追悼式典が開かれる。今回は初めて同市や熊本県荒尾市など行政が主催者に名を連ね、議会や商工会議所、さらに三井鉱山の事業を引き継ぐ日本コークス工業(東京)も参加するという。

 振り返れば、関係団体の多くが一堂に集う式典まで50年かかった。ここに地域の苦難が投影されているとはいえないだろうか。

 かつて地元では、炭鉱の合理化や閉山をめぐって激しい対立があった。事故に先立つ3~4年前、三池炭鉱は総資本対総労働の闘いと呼ばれた「三池争議」の舞台となった。労使の対立、労組の分裂、そして爆発事故で、地域の連携や住民の合意形成が難しくなった側面は確かにあっただろう。

 だが事故から半世紀である。行政、企業、遺族や患者などそれぞれ立場や思いの違いはあろうが、心を一つにして犠牲者を追悼し、地域再生の転機としてほしい。

 大牟田市は三川鉱跡地を同工業から無償で譲り受けて整備する方針だ。炭鉱の歴史をぜひ、地域の活性化に生かしてもらいたい。

 日本の成長や繁栄を支えた地方の苦難は炭鉱事故にとどまらない。水俣病や沖縄の基地問題、さらには福島原発事故なども基本的な構図は同様ではなかろうか。

 苦難の歴史を語り継ぐことの大切さを再認識したい。

=2013/11/07付 西日本新聞朝刊=