変貌 - 8.明治天皇、東京へ再び行幸:国立公文書館
明治2年(1869)3月7日京都を出発された明治天皇は、同月28日に東京城に到着され、「西京」=京都にも、その報が届けられました。この日、東京城は「皇城(こうじょう)」と称されることとなりました。この後、東京は新しい日本の政治上の中心都市として発展していくこととなります。一方、京都は、即位の礼や大嘗祭を行うと皇室典範で定められたように、儀礼空間としての性質が残されました。
明治3年(1870)2月、天皇の京都への「還幸延引(かんこうえんいん)」が発表されます。東北地方の情勢が不安定であることと、東北地域を中心に凶作にみまわれたことが、「延引」の理由でした。
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文久元年 朱引内図当時の東京
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資料関連地域
千代田区千代田
- 墨引
- 朱引