尋常ならざる回復力はどこから? リングドクターが教えるプロレスラーの肉体の秘密/【プロレス偏愛】#04 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
- ️Fri Feb 28 2020
アクロバティックな技や強烈な打撃を通じて、レスラー同士が肉体を激しくぶつけ合うプロレス。流血は日常茶飯事で、失神や大けがをすることも珍しくない。そんな命の危険と隣り合わせの選手を見守り、健康面や安全面のサポートをするのがリングドクターだ。
スポーツ医学などを専門とする医師の富家孝さんは、新日本プロレスのリングドクターを長年務め、この世界の第一人者として知られる。きっかけは「力道山の大ファンで、興行の世界に興味があっから」。
リングを間近で見続けてからこそ知る舞台裏でのエピソードや医療従事者から見たプロレスラーの特徴を富家さんに聞いた。
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生と死の間をさまよう選手が目の前に……
リングドクター富家孝さんは、金曜夜8時の「ワールドプロレスリング」に熱狂していた往年のプロレスファンにとっては、おなじみの存在だ。
内科の開業医としてキャリアをスタートさせた後、1981年からリングドクターとして、新日本プロレスの試合に同行するようになった。多いときは年間180試合のうち120試合ほどついて回っていたという。
「リングドクターの仕事はいくつかあって、日常的に選手の健康管理もしますが、試合会場では“手配師”みたいな役割をします。試合中に選手がケガをしても、その場で応急処置をすることはあっても、本格的な治療をするわけではありません。選手の状態を迅速に把握し、必要に応じて病院に送り込んで、次のシリーズに参戦できるかどうかを判断するのが仕事です。試合中は待機していて、どちらかといえば出番はないほうがいい。何かあっても、僕はできるだけリングにあがらないタイプです。ただ、猪木さんが失神したときはさすがに慌てたね……」
インタビューに応じるアントニオ猪木氏=2019年6月27日午後、東京・永田町の参院議員会館、仙波理撮影
歴史の証人でもある富家さんがそう語るのは、俗に言う「猪木舌出し失神事件」のことだ。1983年6月2日、蔵前国技館で行われたアントニオ猪木VSハルク・ホーガンのIWGP決勝戦。エプロン際でホーガンの「アックス・ボンバー」を喰(く)らった猪木はリング下に転落。頭を強打し、そのまま動かなくなった。
異変に気づいた関係者が猪木のもとに駆け寄り、坂口征二が猪木の口に手を入れ、舌を引き出した。騒然とする場内。猪木はリング上にあげられ、富家さんが蘇生処置を行い、担架で運び出された。白目をむき、舌を出したまま――。死の淵に立つ猪木を、富家さんはただ見つめるしかなかった。
「慌てたという意味では、馳選手の心臓が止まったときも大変やったね」と、富家さんは続ける。
「馳浩心肺停止」が起こったのは、1990年6月のこと。馳は、後藤達俊とのシングルマッチでバックドロップを受け、意識朦朧(もうろう)のまま敗戦。馳は自力でリングを降り、次の試合のセコンドに付くために再びリングに向かうが、その途中で昏倒してしまう。
「馳選手はもともと受け身のうまいレスラーでしたが、あのときはまともに喰らってしまった。すごいバックドロップやったなと思いました。彼の試合を見た後、僕はライガーと青柳館長の異種格闘技戦に備えていたのですが、『馳が倒れた!』と騒ぎになって、すぐに控室に行って、人工呼吸や心臓マッサージをしました」
富家さんが控室に着いたとき、馳の心臓は止まっていた。長州力ら数人の選手も駆けつけ、「死ぬな!」という声が室内に響き渡った。応急処置の結果、馳は数分後に呼吸が戻り、そのまま病院に搬送された。だが、富家さんは内心「もう助からない」と思っていた。
ところが馳は翌日に意識を取り戻した。さらに数日後のレントゲン検査では、事故直後に写っていた脳内出血の影が消えていた。その後も、尋常ではない回復力を見せつけ、ほどなく復帰した。
相手を押さえ込む馳浩元文科相=後楽園ホール (2017年7月26日、小野甲太郎撮影)
プロレスラーの異常な回復力のワケ
フィジカルの極限を追い求めるプロレスは、アクシデントと隣り合わせに思える。だが、プロレスラーのケガは、見ている側が想像するほど多くないと富家さんは言う。
「鍛えてるというのもあるけど、ダメージをうまく逃がす技術があるからですね。プロレスラーは『受け身』の練習を徹底的にやるから」
プロレスは、選手が互いに相手の技を受けることをエンターテインメントの要素の一つとしている。だが、全てをまともに受けとめていては体が持たないので、多くの選手がダメージを逃がす技術を徹底的に磨く。
一つは体の着地面積を大きくして衝撃を吸収する方法。柔道などでもよく見られる受け身だ。もう一つは攻撃を受けた瞬間に身を引いてかわす方法。パンチが当たる瞬間に顔をそらす技術などで、ボクシングなどでも使われている。その習得には相当な鍛錬が必要らしい。
「『こればっかりは道場で何度も受け身を取って、体で覚えるしかない』って誰もが言いますね」(富家さん)
だが、全ての攻撃を受け身で対応できるわけでない。そのため、受け身の練習とは別に過酷な筋トレを重ね、攻撃をまともに受けても耐えられるだけの肉体作りに励む。富家さんによると、血のにじむような練習で鍛え上げたプロレスラーの肉体は、医学的にも変化を遂げるという。
「CPK(クレアチンフォスフォキナーゼ)という、筋肉の中にある酵素があるのですが、普通はこの数値が高いと心筋梗塞の疑いがあるということになります。でも、レスラーは鍛えてるせいかCPKの値が高い。これは筋肉のエネルギー代謝の激しさを示しているのでしょう。そのせいか、肉体の回復力もすごい。普通のケガで、いわゆる全治何カ月っていう診断だったとしたら、プロレスラーはだいたい半分くらいの期間で治ってしまう」
他にもレスラーの回復力の高さを示すデータがある。富家さんが新日本プロレスの選手33人に精密な血液検査を行ったところ、ほとんどのレスラーが一般人に比べ、カルシウム、無機リン、アルカリフォスターゼなどの数値が高かった。これは活発な骨の代謝を示すもので、骨折が短期間で治る回復力の高さを裏付けるものでもあるという。
「まぁでも、プロレスでトップにいく選手というのはみんなケガが少ないんですよ。猪木さんなんかは、非常に体が柔らかいというか、猫みたいな受け身を取れる。それに関節も特殊で、対戦相手が『極まってるはずなのに極まらない』って、嘆いてましたから。やっぱり一流の選手は過酷な練習を積むというのもあるけど、生まれついた肉体と、センスというものがありますね」
同じように肉体を酷使する各種の格闘技とプロレスとの違いは、この必要とされる「センス」に表れるのかもしれない。
「昔、猪木さんと異種格闘技戦をしたウィレム・ルスカっていう柔道選手がおったでしょ。彼は身体能力的にはすごかったけど、プロレスはあんまりうまくなかった。肉体だけでできないのがプロレスです。日本人で運動能力が高いのは、やっぱり佐山(聡)選手かな。彼は、それにプロレスのセンスもあったからね。いろいろ意見はあると思うけど、タイガーマスクは、新日本プロレスが生んだ最高傑作ですよ」
富家さんの共著「リングドクターがみたプロレスラーの秘密」(三一書房)には、富家さんが実施した佐山の体力測定の記録が次のように記載されている。
陸上100m 11秒5
垂直跳び 87cm
握力 (右)105kg、(左)85kg
背筋力 280kg
この記録は当時でいえば、垂直跳びは一流バレーボール選手並み、握力は幕内上位力士をしのぎ、背筋力はアマチュアレスリングヘビー級日本代表選手にまさるものだというから驚きだ。
これまでの試合や基金の話をする佐山聡さん=豊前市 (2015年10月30日、小浦雅和撮影)
運動能力とセンスという、二つの才能に恵まれた者は、いまもプロレス界の第一線で活躍している。
「オカダ(カズチカ)選手なんかもすごい。あのドロップキックはほれぼれするね。棚橋(弘至)選手もセンスある。昔からのプロレスファンには『最近のプロレスは運動機能の高いお兄ちゃんたちが飛んだり跳ねたりしてるだけやな』って言う人もいますが、若い女性のお客さんが増えるのもよくわかる。技も高度になってるし、受け身の技術もうまくなってる。リングドクターも、団体の医療的なバックアップ体制も進化してる。ダメージのケアという点ではかつてに比べて意識が高くなっています」
ただし、選手の医療的なケアについてしっかり考えられるのは、新日本プロレスなどの資金力が潤沢な団体が多いという現実もある。
「この10年、プロレス団体の数が増えて、基礎的な体作りや練習が足りてない選手も出てきてるし、ドクターがついていない試合もある。リングドクターの必要性は増しているけれど、いまプロレスのリングドクターをやりたいって人はあまり多くないかもしれないね。知り合いの話を聞く限り、今は決して報酬が高いわけではないし、おそらく医師としての名誉を感じる人もそんなに多くはないと思います。でも、僕はこの世界に触れられて、本当に良かったと思ってますよ」
富家さんは、2000年頃から新日本プロレスのリングドクターとして地方巡業に同行することは減ったが、都内の試合の現場には今なお足を運んでいる。また、各種のプロレス団体にリングドクターを紹介する活動を行っている。なぜそこまでしてプロレスに関わるのか? 今もそう問われることがあるが、答えはずっと変わらない。
「プロレスって独特のいかがわしさというか、ヒューマンなところがあるでしょ。僕、そういう人間臭さが好きなんですよ。昔、霞が関で『週刊プロレス』が非常によく売れているという話がありました。官僚や政治家にはプロレスファンが多い。彼らは人をよく知らないと仕事にならないし、プロレスには人生のあれもこれも入ってるから勉強になる、というわけ。こんなジャンル、他にはなかなかないんじゃないかな」
プロレスはスポーツの一ジャンルではなく、「プロレス」というジャンルである。富家さんはそう考え、その特殊さにずっとはまってきた。70歳を過ぎた今も、かつてと変わらず試合を見続けている。選手の安全や健康を考え、肉体をつぶさに観察してきたその目には、プロレスならではの人間ドラマが焼き付いている。
(文・金崎将敬 撮影・野呂美帆)
■プロフィール
富家孝(ふけ・たかし)
1947年生まれ。1972年、東京慈恵会医科大学卒業。開業・病院経営の後、早稲田大学講師などを歴任。1981年からは新日本プロレスのリングドクターを務める。「医者しか知らない危険な話」(共著/文春文庫PLUS)など著書は65冊以上。