元女流棋士・竹俣紅さん イケイケじゃなかった渋渋時代|ハイスクールラプソディー|朝日新聞EduA
中学2年生で女流棋士となり、今年3月で日本将棋連盟を退会した竹俣紅さん。棋士時代は悔し泣きもたくさんしたといいます。現在は、早稲田大の3年生で、就職活動に向けても高校時代の経験が生きているそうです。
(たけまた・べに)1998年生まれ、東京都出身。渋谷教育学園渋谷中学高等学校を卒業し、現在、早稲田大政治経済学部に在学中。6歳から将棋を始め、2012年に14歳で女流プロ入り。19年3月末に日本将棋連盟を退会。現在はタレントとしても活躍中。
授業で本格的なコンペも
――どんな高校時代を送りましたか?
渋谷教育学園渋谷中学高等学校(通称、渋渋)は個性にあふれた人が多く、私も女流棋士をやりながら、普通に学校生活を送ることができました。渋渋への進学は自分で決めました。「自調自考(じちょうじこう)」=自ら調べ、自ら考えるという学校の精神が自分に合っていると思ったんです。子どものころから勉強は好きなほうでした。体育以外は(笑)。
渋渋のカリキュラムはかなり独創的でした。高1のときに「英語で広島の観光パンフレットを作る」というプロジェクトをやったんです。グループに分かれてコンペをして、1位を取ると実際にアメリカに行ってプレゼンテーションするという本格的なものでした。グループの意見をまとめて、英語を使って、デザインもする。「勉強だけでも大変なのに、なぜこんなことをさせるんだろう!」と当時は正直、恨みがましく思ったのですが(笑)、いま就職活動に向けてグループディスカッションをしたり、課題を与えられてプロジェクトを立ち上げたりするということが多く、「あのときの経験がすごく生きているなあ!」と思います。つらかったけれど、働くうえで必要な能力を身につけさせようとしてくれていたのかな、と振り返って思います。
![竹俣紅さん2](https://public2.potaufeu.asahi.com/9c42-p/picture/18562645/de99061f5f7d1d3a4d0d1f7b053619e8.jpg)
勉強は授業時間にすべて吸収
――将棋と学業をどう両立させていましたか?
小学生時代、平日は放課後、休日は朝から夜まで、道場で将棋を指していましたが、中学で変わりました。渋渋は課題がとても多い学校だったので、課題を効率よく済ませるように計画を立てて、それ以外の時間を将棋にあてました。休日に勉強をする時間がないので、とにかく授業中にすべてを吸収しようと決めていました。先生の話を理解できたと思ったら、すぐにその場で問題を解くんです。聞いて理解できたような気になっていても、実際にやってみると理解できていないことがわかったりしますから。
こうした勉強法にも将棋の影響があるかもしれません。将棋には定跡というパターンがあり、まずはそれを覚えるところから始まります。でもそれを覚えても、実際に指すときは自分の力が必要になる。理論を覚えたら実戦で活用しないといけないんです。勉強でもその方法が生きたんだと思います。
渋渋は授業のレベルが高くて、内容もおもしろかったです。渋谷のど真ん中という場所柄、「イケイケでキラキラしていて楽しそう!」と思われているようなのですが(笑)、とにかく課題も提出物も多いので、みんな渋谷の街には繰り出さず、まっすぐに帰っていました。
![竹俣紅さん高校時代](https://public1.potaufeu.asahi.com/1ffb-p/picture/18562644/74bc214347d2ca4fcbe57e8e01a20f84.jpg)
――どんな家庭に育ったのでしょう?
私は一人っ子で、両親は私が興味を持ったことは自由にやらせてくれました。幼稚園くらいまでの私はかなり内向的だったと思います。みんなとワイワイ遊ぶより、公園の砂場で一人で遊ぶのが好きでした。しかも砂で何かを作るとかではなく、ただただ掘り続けて砂場の底を見るような子でした。熱中して周りが見えなくなるタイプなのだと思います。
両親から「勉強しなさい」と言われたことは一度もないです。むしろ中学受験のときなど勉強に集中しすぎてしまうので、母から「勉強は1日2時間」と区切られていました。いまは元気ですが、子どものころはけっこう熱を出したりしていたので、熱中しすぎて体を壊すことを心配していたんだと思います。
将棋は自分との闘い
――将棋を始めたきっかけは?
小学校にあがる前の春休みに、近所の本屋さんでたまたま子ども向けの将棋の本を見つけたんです。駒に漢字が書いてあって「おもしろそうだな」と興味を持ちました。ちょうど漢字にハマりだしていたときだったんです。周りの大人が新聞を読むのを見て自分も読みたいと言ったところ、漢字を読めないと新聞を読むことはできないと知り、漢字ドリルを買ってもらったりしていました。
家族は誰も将棋ができなかったので、最初は本を読みながら、一人で将棋盤のこちら側から一手を指したら、次に逆に回って指す、ということをしていました。さすがに母がかわいそうに思ったのか、日本将棋連盟の子どもスクールを探してくれたんです。小1から通い始めたのですが、初日に小6の男の子と指して勝ったんです。「勝つのって楽しいな」と思ったのと同時に「ちょっと自分、センスあるんじゃない?」と調子にのって(笑)、そのまま夢中になりました。
――そして中2で女流棋士に。しかし勝負の世界は厳しいですよね。
大人になってからも対局で負けたときは泣いていました。終わると会場のトイレでまず泣いて、家に帰って自分の部屋でまた泣く。将棋はだいたい自分のミスで負けるんです。だから相手に負けて悔しい!というより、自分の無力さに泣けてくるという感じです。将棋は自分との闘いなんです。棋士もアスリートといいますか、反省し、敗因を分析して次に生かしてまた戦う、の繰り返しです。
![竹俣紅さん3](https://public0.potaufeu.asahi.com/0b47-p/picture/18562642/3319719b7aebe569cd41ca9d63a6afbc.jpg)
――今年で女流棋士を引退されましたね。
大学で広い世界を見たことで「社会に出て働きたい」と思うようになったんです。もともと棋士は職業選択として選んだのとは少し違っていた。好きで始めたら強くなって、気がついたらプロになっていた、という感じなので、ここで仕事を見つめ直したかった。もちろん将棋は好きですし、プロでなくても将棋に関わることは続けていけますから。
――タレントとしても活躍されています。
小5のとき「ネプリーグ」という番組に「大人に物申す小学生」のような立場で出演させていただいたのが最初です。その後もワイドショーでニュースにコメントをさせていただくなどしてきました。
私、子どものころはバラエティー番組などは見たことがなくて、ニュースと国会中継が好きだったんです。国会中継はあの独特のテンションがたまらない(笑)。芸能人についてあまり知らなかったので、テレビに出ても物おじしなかったのかもしれません。
ただタレントも大学生で卒業して、就職する予定です。どの業界に行くかはまだ決めていませんが、人の役に立てる仕事がしたいなと思っています。道を決めるのに迷いはないほうですね。それも将棋での経験のおかげかもしれません。